キャリアコンサルタント学習ノート

キャリアコンサルタントの学習記録

話さないクライエントについて

あるロープレで。


私 「こんにちわ、キャリアコンサルタントの□□です」

CL 「…」

私 「今日はどうぞ、よろしくお願いします」

CL 「…」


ロープレが始まってすぐの場面ですが、クライエントは目も合わせようとしてくれません。


私 「〇〇さんですよね」

CL 「あっ、そうです」

私 「〇〇さん、今日はどのようなご相談でお見えになられたんでしょうか?」


ここから、クライエントは勢いに乗って話し始めます。


よく、クライエントが話してくれないと聞きます。

話してくれるクライエントは楽、ということも聞きます。


ほんとうにそうなのでしょうか?


いっぱい話すクライエントは、覚えることが多くなります。また、話す量に応じて伝え返そうとすると、要約して返すことになります。むしろ、いっぱい話されると、話を促しつつ、話を記憶し、要点をまとめて、要約して返す。カウンセラーには結構負担がかかります。

それに、一方的に話しているからといって、信頼関係ができているとは言い切れません。クライエントは自分の不安を出したくないから、話続けているのかもしれません。


逆に、あまり話さないクライエントの場合の方がわかりやすいとも言えます。それは、自分に対し心を開きたくないというサインだと考えられます。


クライエントは、相談したいことがあって来ているとはいえ、何かしら、相談することに対して葛藤をもっているほうが普通だと思います。

特に、初回面接は、何のこころのハードルもなく、打ち解けて話せるほうがマレだと思います。


話してくれる、話してくれないというのは、表面上で考えていてもあまり意味はありません。

まして、クライエントに助けられたとか、話してくれないとダメだとか、そういったものではありません。


最初に書いたロープレのように、名前を呼ぶというひとことが、クライエントに話のきっかけになることもあります。


キャリアコンサルタントとして、自分の気持ちがクライエントに向かっているか、クライエントに関心を寄せているかどうか。

クライエントが、相談に来ながらなかなか話だせないのは、そこに葛藤があるからです。その葛藤を受けとめてあげているかどうか。


初対面のひとに、のっけからこころのうちをさらけ出せるひとは、そうそういないと思います。クライエントは、どこまで話そうかという気持ちを持ちながら、コンサルタントに心が許せる範囲で、話していくんだと思います。クライエントの方から、何もしなくても話してくれると思っていたら、どこかで失敗します。話してくれていることに安心していてもいけません。ほんとうに話したいことを話していないかもしれません。こう見せたいと思って話しているだけなのかもしれません。


対人関係で、初対面のひととの距離の取り方は、非常に気を使うところです。


試験だからそこは気を使う必要はない、ということはありません。むしろ、そこができていないと大きな失点ではないでしょうか?

なんでかというと、それは信頼関係の構築そのものだからです。


クライエントが話してくれなかったと感じた時は、自分の信頼関係の構築に課題がないか、ふりかえってみてはいかがでしょうか?






実技面接試験に向けて

今週、来週の土日は、いよいよ、実技面接試験ですね。


試験本番まで、まだまだ時間はあります。

実力を伸ばすためにやれることはまだまだあります。

これは経験者として自信をもってお伝えしたいことです。


【試験前日までにやれること】

・時間がある限りロープレしましょう。

・ふだんの日常会話でも、カウンセリングを意識した応答を心がけましょう。

・逐語録に目を通しましょう。もし、逐語録を作ったことがないひとは、とにかく、作って見ましょう。ロープレでなくても、ふだんの日常会話でもかまいません。自分の応答のクセをつかむことが大事です。

・キャリアコンサルティング技能検定の過去問から仮想で逐語録を作ってみましょう。お題から、自分はどんな言葉でクライエントに話しを促すか?クライエントはどういう言葉を返すのか?想像しながら作ってみましょう。試行錯誤しながら、まずセリフを文字にして見るのです。ときどき、読み返して、会話の流れに違和感はないか?おかしな展開になっていないか?確認しましょう。

・資格ホルダーにロープレをお願いしましょう。クライエント役になってもらい、自分の応答についてアドバイスをもらいましょう。


面接試験は実技です。

やれているか、やれていないかが問われます。

JCDAでも、協議会でも、面接の場面設定は同じはずです。

インテークで、カウンセリングの冒頭15分間。面談途中まで。

だとすると、本来、40分程度で、「自己概念の成長」や「問題解決」を行う前提で、冒頭15分、この時間で何ができるか?初めて会ったひとをクライエントとして。

そう考えると、試験でやることは自ずと優先順位が見えてくるのではないでしょうか?


クライエントがなぜ相談したいと思ったのか、その動機をつかむこと。

15分でやることは、その一点です。

そのためには、クライエントの話をしっかり聴くこと。

そのために、クライエントに存分に話していただくこと。

存分に話してもらうためには、

クライエントに好意的関心をもってかかわること、

クライエントの話ではなく、そのひとそのものに注目すること、

話か広がり深まるように、うなづきや伝え返しなどで、語りをサポートすること。


それだけで、15分はあっという間に過ぎてしまいます。

私の場合も、あっという間でした。


本来、自己概念の成長や問題解決は40分かけてやるものです。15分で経験代謝の意味の出現やシェロスバーグの4Sで方策を練るなんてことはできることではないし、むしろ、やってしまうのはマズいのです。

ちゃんとクライエントの話を聴けてるのか、考え直す必要があります。


そう考えると、実は、キャリアコンサルタントの実技面接試験でやることは、シンプルに傾聴するということに尽きます。

傾聴ができていないと、どれほど口頭試問で素晴らしい答えを返しても意味がありません。



第5回の学科試験を解いてみました

今日、8月28日、試験機関に第5回の学科試験、論述試験がアップされていたので、回答してみました。

 

結果、37問正答。

 

実際解いてみての所感ですが、第4回と大きく、各分野の比率が変わったわけではないと思いました。

 

ただし、前回のように疑問符のつく正答はほぼありませんでした。

 

サビカス、キャリアアンカーメンタルヘルスが複数問、出題されてましたね。

国分先生が引き続き、出題されていましたね。

あと、厚労省の睡眠に関する指針は、ちょっとびっくり。

確かに、健康分野で睡眠はわりとホットな話題ですが。


厚労省労働経済文科省のキャリア教育に関する資料の読み込みは必須ですね、

また、キャリアコンサルティングのプロセスについては、やや難しくなったという印象を受けました。

 

論述は、JCDAの問題は見てみました。

出題傾向に大きな変化は見当たりません。

 

ただ、問3、問4は、どう書いたものか、悩みますね。

 

逐語の最後、クライエントのセリフをどのように考えるか?

 

自問自答してますね。


Ⅰは明らかに転職に絞り込んだ応答ですが、Ⅱは自己概念について自問自答を促す応答になっています。

異動という事実をクライエントが受け止めきれていない。そこに問3、問4の回答の手がかりがありそうですね。


クライエントの第一声は転職ですけど、それはクライエントのほんとうの問題ではないように思われます。

むしろ、クライエントが自分が目指していたところから外れてしまった、海外異動が果たされず、国内異動の内示を受けた。それがクライエントにとっては受け止めきれていない。

ただ、逐語の最後で、クライエントは自分に対して、自問自答しています。ここをどのようにキャリアコンサルタントとして考えるか?

それによって、今後の展開は変わってきますね。


私なら、一度、これまでの話を要約し、クライエントの来談目的を再度確認します。

その上で、あらためて今回の内示がクライエントの今後のキャリアにとっての意味について考えてもらえるように進めます。


逐語だとよくわかりませんが、このクライエントは結構、テンション高く、部屋にはいってきたんじゃないかなあ、という気がします。キャリアコンサルタントと話すうちに、だんだん冷静さを取り戻していった、そんな感じがします。


 

 

 

 

 

ナリワイからのキャリアカウンセリング

「ナリワイ」は、キャリアカウンセリングの本質的な部分と重なり合います。

それはこれらは共に個人の個別性に拠ったものだからです。

また、ひとの成長への信頼も共通する要素でしょう。

ぱっと見、相反するように見えるのは、キャリアカウンセリングを就活のひとつのプロセスと見てしまうからでしょう。ほんとうは逆なのだと思います。キャリア形成において、就活はもともと手段だからです。キャリアカウンセリングはキャリア形成を促すものであって、そのための手段といえは手段かもしれませんが、就活が内定獲得を目的とする一方、キャリアカウンセリングはキャリア形成を目的としています。

キャリアコンサルタントがナリワイという発想に抵抗を感じるとすれば、それはキャリアを非常に狭く考えている可能性があります。

その意味で、ナリワイはキャリアコンサルタントにとって自分の立場を振り返させるものとして機能するものだと思います。


キャリアカウンセリングと就活支援

「ナリワイをつくる」は、働くということをラディカルに問い直し、自分らしさを取り戻すことを提起していると思われます。

働くということを考えるとき、雇用を当然の前提としていることが多いけれども、それは果たしてあたりまえのことなのだろうかと問い直すことになります。

そして、それはあたりまえのことではないという結論にたどり着くのですが、その結論が説得力があるとすれば、それは論理的推論によるからではありません。

むしろ、現在の生活実感によるものです。

雇用をあたりまえとして考えることは、言わば、昭和文化の残滓によるという、極めて感傷的気分に浸っていたいという、ただそれだけのこと、なのかもしれません。

昭和文化の中で育ってきた私にも、共働き家庭や転職、フレックスタイム、残業削減、カクシュのハラスメントといったことに対する違和感は腹の底にないわけがないのです。

今の働き方改革で問題視されることがらに対して、どこか、なんでそれが問題とされるのか、納得がいかないところはあります。

ただ、都合のいいことに、「そういう時代だから」というセリフがあって、それでうけいれていると思ってるだけです。

それは、今の新たな生き方、働き方に取り組み始めている20代や30代のひとへの僻みなのかもしれません。

シェアハウスに仲間と暮らし、雇用ではなく、自分ができることをベースに仕事をし、多くを求めず、最低限暮らしが成り立つ稼ぎを得る。時間を切り売りせず、心を病むこともなく、それでいて、日々腕を鍛え上げ、自分の仕事が誰かの役に立っているという実感を持ち、仕事を通して、ひととつながり、仲間の輪を広げている。

このようなライススタイルは、雇用されていることを前提とするライススタイルに対して、その意味や価値を自問自答させます。

30年ローンで建てた家を出て、サラリーマンとして与えられた仕事を日々こなしながら、年収が自分の価値のバロメーター。残業削減のお題目のもと、導入されたテレワークで、帰宅しても仕事から離れられず、いつのまにか、うつ気味に。自分がやったことではないが、会社のものとしてお客さんとのトラブル処理に奔走。仕事しかやってこなかったため、孤独感に襲われ、ギョッとする。


仕事は、時にひとを追い込むことがあります。かつては、むしろ、サラリーマンは、率先して自分を仕事に追い込んでいたものでした。そのモチベーションは、はっきりしていました。今の苦労が将来の役職や年収につながるのだと。


「ナリワイをつくる」を読むと、経済力と生活力は概念として区別する必要があることに気づかされます。

経済力、即ち、生活力。

この発想は、モーレツ社員、3高、バブルなど、ときどきの経済状況に応じていろいろな標語を生んできました。

3cもそうですね。

技術進歩は生活を便利にもしましたが、それよりも、消費を煽るものであったのです。

もちろん、そのおかげで、私たちの今の生活かあることは、きちんと弁えておきたいですね。

その意味で、経済力、即ち、生活力という発想は、私たちの今の生活の土台を作り上げてきたのです。

「ナリワイ」は生活力をそのものとして考えてみようということです。

この発想が今、非常に意味を持つのは、経済力、即ち、生活力とは言えなくなったからではありません。むしろ、経済力は今でも生活力と同じものと考えられています。でなければ、国を挙げての生産性向上がお題目にあがることはありません。

生産性向上は、少子化のいま、重要な国策です。老人も、女性も、ニートも、フリーターも、日本国民一人ひとりが、1円でも多く稼がないと国が立ち行かない。年金制度を始め、様々な福祉政策が破綻してしまう。今の危機感の煽り方は、戦時の国民総動員を思い起こさせます。


「ナリワイ」は、何より生活実践ですが、その意味は、極めて政治的です。それは、民主主義的な運動ではなく、個人一人ひとりに根ざした運動です。デモのような集団行動でも、マスコミのような世論の扇動ではない、ミクロ政治学なのです。それゆえ、ゲリラ行動に近いものなのかもしれません。ただ、その展開は非戦闘的で、平和的なのです。それでいて、「ナリワイ」的生活に取り組むひとが増えるとどうなることでしょう。その破壊力は制度、組織、経済行動、社会構成、文化など、幅広い分野に及ぶでしょう。


間違えてはいけないのは、「ナリワイ」は経済力を否定するものではないということ。そもそも経済力は否定するとかしないとかのものではないので、そりゃそうだという話ですが、議論の展開において、否定することはわかりやすく、「ナリワイ」の読者の立場でも、そう考えたほうが理解はしやすいと思います。ただ、「ナリワイ」はそんな単純なものでは決してありません。むしろ、経済力を程度問題としていることが大事なのです。程度問題にしているとは、経済力を最優先に考えないということです。

年収はそのひとの人間としての価値を表してはいない、という至極当然のことをあらためて認めなくてはいけません。


さて、では、「ナリワイ」は、キャリアコンサルタントにとって、どんな意味を持つのでしょうか?



キャリアカウンセリングで、問題解決がまずい理由

キャリアコンサルタント試験で、JCDAを選択する場合、「問題解決」はまずい方の分類に入ります。それには気づいていたのですが、その理由ははっきりわかりませんでした。それが今になって、そういうことかと合点がいく、一文を見つけました。


「人」に関心を寄せ、「経験」を観る。これが、キャリアカウンセリングを進める上での初めの一歩です。p.95


経験代謝では、人と経験一体として問題と考えます。

問題を人から切り離しては考えないのです。

ある経験を問題と考えるのはクライエントそのひとです。別の人が同様の経験をしても問題と、考えないこともあります。

そのため、キャリアカウンセラーは人に焦点をあてます。

「問題解決」の場合、問題をひとから切り離して、一般化してしまうことになります。

人に焦点をあてる経験代謝は、むしろ、その人の個別性に注目します。

たとえば、「今の仕事が面白くなくて、転職を考えています」というクライエントが来ました。

このとき、「そうですか、転職を考えてらっしゃるんですね」と問題を転職として一般化してしまうのか。

「何かあったんですか」と、どんな経験があったのかに焦点をあてるのか。


一般化してしまうことにクライエントがほんとうに話したいことがあるのかどうか。



経験代謝の復習

経験代謝をあらためて学びなおしたいと思い、立野さんの本を読み始めました。

養成機関で経験代謝を学ばなかった方で、JCDAでの受験をされる方は読んでおいたほうがいいです。また経験代謝を学んだ方にもオススメします。養成講座では触れられない、経験代謝の由来もこの本には書かれているので。


経験代謝は、「経験の再現」、「意味の出現」、「意味の実現」のプロセスだけをなぞるだけではよくつかめません。


経験代謝は、「経験から学ぶ学びの構造」と言われます。


これがキャリアカウンセリングとして、どうやっていけばいいのかは、正直、よくわかりません。


このブログでも、何回か、経験代謝については書きましたが、理解が行き届いていなかったと痛感します。