キャリアコンサルタント学習ノート

キャリアコンサルタントの学習記録

そもそもの考え方

「そもそも〜」。


これって、けっこう、威力のすごい考え方だなぁと感じます。


「そもそも結婚するべきなんだろうか?」

「そもそも子供は産むべきなんだろうか?」

「そもそも会社に定年まで残るべきなんだろうか?」

「そもそも家は買うべきなんだろうか?」


「そもそも」と身の回りのことを見直していくと、ほとんどのことが否定されてしまう気になってしまいます。

そうして問いつめていくと、私たちのお金の使い先は、便利、効率的、ステイタスといった、副次的な目的で使っていることが多いなぁと思い至ります。

そうすると人間生きていくためには、実はそんなにカネはかからないことに気づきます。


そう、生活力さえあれば。


世の中、たくさんのサービスが提供されている中、じぶんでしかできないことを極力無くし、他のひとにやってもらうことはいくらでもできるのでしょう、そう、お金さえあれば。

すでにわたしたちの身の回りは、お金と交換に提供されるサービスやモノで多くが占められています。

多様なサービスやモノを買う、利用する力を経済力ですが、その経済力がすなわち生活力だと考えることが、そもそもの間違いなのではないか?


「ナリワイをつくる」を読んでいると、そんな気がします。


生活の自給を広げていけば、そのぶん、それほどの経済力は必要ないのではないか?


少なくとも、身体や精神を病んでまで稼ぐ必要はないことは確かです。

一方、今、心身ともに健康で、仕事にも充実を感じているのなら、サラリーマンを続けていることも立派な「ナリワイ」ではないかと思います。


そもそも「ナリワイ」は、サラリーマンの対極にあるわけではないんでしょう。


むしろ、「ナリワイ」という考え方は、そもそもという発想で働くことを考え直すものだと思います。

働くということが本来持っていたと思われる、生活実感であったり、ひととひとをつなぐ機能、学びや成長などをあらためて取り戻すための考え方なのでしょう。

働くということが、多くのひとにとって、雇用という前提に立って考えてしまうことが多いのですが、雇用というフィルターをいったん外して考えてみること。それが今、非常に新鮮で、視界が広がるように思います。






「なりわいをつくる」を読む

耳貸し屋という「なりわい」を始めようと思います。

ググったところ、こういった「なりわい」は、ほぼ見当たりません。

 

耳貸し屋は、誰かに話したいことがあるひとの話を聴くというサービスを提供します。

話し手が存分に話せるように、うなづき、相づちを返します。聴いた話をまとめ、伝え返します。

 

アドバイスや情報提供はしません。

聴くことに特化したサービスです。

 

なんかモヤモヤする、胸のつかえがとれないというとき、ひとに話を聴いてもらえるとこころが晴れてスッキリする、そんな体験を提供したい。

 

耳貸し屋を始めるのには、大きな初期投資はいりません。

いつでも、どこでも、できます。

 

最近、「子連れ狼」をあらためて見ていたところ、思いつきました。

乳母車に立てられたのぼりには、

「子貸し、腕貸しつかまつる」、

と書かれています。

 

オレに貸せるのは耳くらいかなあとふっと思いついたことですが、やってみてもいいかもと感じています。

 

子連れ狼の拝一刀は大きな宿願を抱き、一子大五郎と共に冥府魔道の刺客道を歩む、元公儀介錯人。柳生一族との確執から幕府の任を解かれ、一殺500両の刺客として、日本国中を旅しています。

刺客の他にも、いろいろ、「なりわい」とする人たちが登場します。

夜鷹や傘張り浪人、主君の墓守り、大道芸人、その他もろもろ。

 

そういえば、「百姓」とは百のなりわいをもつひとというのがそもそもの語源だと「なりわいをつくる」という本に書いてあります。 

 

村では、農業はもちろん、石垣をつくれる石屋、藍染をする紺屋、大工、陶工、野鍛冶屋など、多様な仕事を各自が受け持っていたし、春だけ養蜂をやる、冬は藁細工をつくる、杜氏になって酒蔵に出稼ぎをする、といった具合に、一人がいくつもの仕事を持つことは当たり前のことだった。(『ナリワイをつくる』、伊藤洋志)

 

このような複業が当たり前だった日本人の働き方が、戦後、大量生産を是とする工業化のなかで、職業の専業化がすすんでいき、専業化をすすめていくために年功序列、終身雇用が誕生し、健康保険や年金制度が整備されていきました。都市に人口が集中し、職住分離が進行していったのです。

 

ナリワイとは、「個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事」(同上)です。

それは、たいそうなビジネスプランによって組み立てられていくものではありません。自分の生活にある、身の回りのちょっとしたことを「ナリワイ」にしようというものです。稼ぎよりも生活の充実が最優先事項です。

 

「ナリワイ」を考えるためには、私たちは「そもそも」という発想で、ふだんの日常を注意深く観察することが必要です。

そもそも、買った途端に価値が下がっていく住宅を、30年の雇用を条件にローンを組み、購入する価値はほんとうにあるのか?

そもそも、「万が一」に備えて保険に入るよりも、病気にならないように健康に努めることが大事なんではないか?

「そもそも」と考え直すことは、このようなライフプラン上の事柄から日常のささいなことまでライフプラン全体に及びます。その意味で、「ナリワイ」とは、キャリアコンサルタントの用語でいえば「ライフキャリア」に相当するものです。

 

一つの職業につくことにこだわる必要はない。

それよりも、本当に地に足のついた生活力を鍛えよう。

生活力を鍛えていくなかで、仲間がひろがり、仕事を含んだ生活実感が増えていく。

勇気づけられるメッセージだと思います。

 

 

ナリワイをつくる: 人生を盗まれない働き方 (ちくま文庫)

ナリワイをつくる: 人生を盗まれない働き方 (ちくま文庫)

 

 

 

 

 

 

 

持たない幸福論について

身の丈に合うというのはどういうことなのでしょうか?

持たない幸福論」という本を読みながら、著者の無理をしない、物事に執着しない生き方には、正直、違和感を感じます。

ただ、その違和感は、私の方が何かに囚われているからこその感覚ではないかと考えさせられるようなものです。

私も、本来は、日がな寝て過ごしいたいと思う人間です。しかし、著者のように、モノは捨てられないし、毎日満員の通勤電車に揺られながら会社に通い続けています。それが分相応だと思ってきました。

働いて、家族と過ごして、というのをあたりまえとしてきました。

年功序列や終身雇用を信じているわけではありませんが、会社を離れ、著者のような生き方を選択することには、自分にはできないと感じます。


なぜそう感じるのか?


ほんとうに身の丈にあった生き方なのか?


この本を読んでいると、こうしたラディカルな問いを突きつけられている気がします。

こうした問いは、そのまま、キャリアとは何かという問いにもつながるものではないかと思います。


あらためて、生き方、働き方の多様性を感じさせられます。







最良の試験直前対策は逐語録の検討

このブログでも何度か書きましたが、

ロープレだけをひたすら繰り返すよりも、

15分のロープレ一回を逐語録に落とし込み、改善策を検討するほうが飛躍的に実力がつく、と思います。


ロープレをその場だけて終わらせてしまうのは非常にもったいない。


逐語録に落とし、ロープレ全体を振り返ることで、自分の応答のいいところ、悪いところがつかめるようになってきます。

また、面談全体の流れもわかってきます。


逐語にすると一目瞭然ですが、コンサルタントのセリフが多いのは論外。かつ、質問ばかりの応答もまずい。このあたりは、読まなくても、パッと見てわかりますよね。


きちんとクライエントの言葉を伝え返しているか? 

クライエントのセリフだけを読んで、相談内容がつかめるかどうか?

 最初はうまくクライエントの話を促せていたのに、流れが変わったのはどこからなのか?

クライエントの心が離れていったのは、何がきっかけだったのか?


具体的に書いていけばきりがありませんが、

要はうまくいったのか、いっていないのか?

それはなぜなのかを逐語録を通して突き詰めていくことが大事です。


そして、作った逐語録は、自分にとっては最良の、完全カスタマイズの教科書です。

そこに、あなたが面談をやっていくうえで必要なことがすべて書かれています。


試験直前の今だからこそ、取り組んでみる価値はありますよ。



試験直前の迷いについて

試験が近づいてくると、特に、実技は、論述も面接も、何が正解なのかわからず、迷うことが増えてくるひともいらっしゃるのではないでしょうか。


私はそうでした。


知識の量と正解さが問われる学科と異なり、実技は何が正しいのか、よくわからんという状態にはまっていました。

一方で、試験直前でも、合格レベルまでもっていけるのが実技試験。

その鍵は受容、共感、一致です。


もし、実技で迷われている方がいれば、ぜひ、逐語録を作ることをオススメします。

そこで、辛くても何でも、自分の応答を見直してください。

あのときはこのように応答したけれど、他の応答がないか、考えてみてください。

これは仲間内でやったほうが効果はあります。ただ、ロープレをやって感想を言い合うのではなく、ひとつひとつの応答を検討し合いましょう。


オンライン会議ツールについて

おととい、CDA認定証が届きました。


これで、CDAの名乗りを上げられることができます。


標準キャリアコンサルタントが国家資格となり、CDAなどの民間資格は意味がなくなったかというとそうでもないと思います。


キャリアコンサルタント同士のつながりやスキルアップの機会が広がるというのは会員となるひとつのメリットだと思います。


今後、この資格をどのように活用していこうか、思案中です。

その方策の1つにいま考えているのが遠隔相談。そのツールとして、いいなあと今思っているのが、「zoom」というオンライン会議ツール。


https://zoom.us/jp-jp/feature.html


100人以上の人と同時にオンライン上で対話ができる、skypeよりも安定している、ホワイトボードも使える、資料の共有もできるなど、なかなか魅力的です。

ウェブ上での多人数・多拠点会議はもちろん、セミナーを開くことも可能。

使い道はいろいろと考えられそうです。


すでに使ってらっしゃるキャリアコンサルタントファイナンシャルプランナーも。







職場とは別の場所を持ちましょう

10日ほど前にウェブ登録をしてから、キャリアコンサルタントも、JCDA入会も、その後の手続きを行なっていませんでした。

今日、家に帰ってやろうと思います。


JCDAには、いくつかの会員区分があり、一般会員であれば、CDA養成機関に通っていなくても加入することは可能です。

CDA養成機関出身者はCDA会員として加入することができます。

私は今回、CDA会員で入会申請します。

この両者の違いって、CDAを名乗れるかどうか、ということとCDA会員のほうが千円年会費が安いということのようです。他にもあるのかもしれませんが、そこは追々、わかったらお知らせします。

今週末は、新規入会者向けのイベントに参加することにしていて、割と胸躍らせています。


最近、仕事のほうに時間を費やしてしまうことが多く、結構、疲れています。

職場だけというのは、ほんとう、ストレスしかたまりませんね。

ここ何年か、大学の通信をやったり、キャリアコンサルタントの養成講座に行ったりしていたので、そこで頭も気分も切り換えることができていました。

この体験から、職場とはまったく関係のないところに身を置くことはメンタルに良いと思っています。


職場の人間関係からも離れ、ふだんやっていることとは違うことをやっていると、そこで新たな気づきがあったり、気分が一新されたりします。

職場には長年そこで培われた文化があって、知らずうちに、そこに自分も染まっていることがあります。

なんかモヤモヤするなあというとき、職場にしかいないとそのモヤモヤの正体は見えてこないのですが、職場から離れると、その正体が見えてくることもあります。

それは会社帰りに同僚と居酒屋にいったり、休日にゴルフに行ったりではわからないものかもしれません。まあ、会社の中での人間関係をより濃くするためにはいいんでしょう。

モヤモヤの正体が、結局、職場の文化に馴染めない、受け入れられないということだってあると思います。それも自分なんでしょう。

職場に馴染めない自分を受け入れる。大切なことだと思います。


さあ、次はどんなフィールドに行こうかなと現在模索しているところです。試験終わってからというもの、なんか疲れっぽくて。


なんか、愚痴っぽくなって申し訳ありません。