そもそもの考え方
- 作者: 伊藤洋志
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2017/07/06
- メディア: 文庫
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「そもそも〜」。
これって、けっこう、威力のすごい考え方だなぁと感じます。
「そもそも結婚するべきなんだろうか?」
「そもそも子供は産むべきなんだろうか?」
「そもそも会社に定年まで残るべきなんだろうか?」
「そもそも家は買うべきなんだろうか?」
「そもそも」と身の回りのことを見直していくと、ほとんどのことが否定されてしまう気になってしまいます。
そうして問いつめていくと、私たちのお金の使い先は、便利、効率的、ステイタスといった、副次的な目的で使っていることが多いなぁと思い至ります。
そうすると人間生きていくためには、実はそんなにカネはかからないことに気づきます。
そう、生活力さえあれば。
世の中、たくさんのサービスが提供されている中、じぶんでしかできないことを極力無くし、他のひとにやってもらうことはいくらでもできるのでしょう、そう、お金さえあれば。
すでにわたしたちの身の回りは、お金と交換に提供されるサービスやモノで多くが占められています。
多様なサービスやモノを買う、利用する力を経済力ですが、その経済力がすなわち生活力だと考えることが、そもそもの間違いなのではないか?
「ナリワイをつくる」を読んでいると、そんな気がします。
生活の自給を広げていけば、そのぶん、それほどの経済力は必要ないのではないか?
少なくとも、身体や精神を病んでまで稼ぐ必要はないことは確かです。
一方、今、心身ともに健康で、仕事にも充実を感じているのなら、サラリーマンを続けていることも立派な「ナリワイ」ではないかと思います。
そもそも「ナリワイ」は、サラリーマンの対極にあるわけではないんでしょう。
むしろ、「ナリワイ」という考え方は、そもそもという発想で働くことを考え直すものだと思います。
働くということが本来持っていたと思われる、生活実感であったり、ひととひとをつなぐ機能、学びや成長などをあらためて取り戻すための考え方なのでしょう。
働くということが、多くのひとにとって、雇用という前提に立って考えてしまうことが多いのですが、雇用というフィルターをいったん外して考えてみること。それが今、非常に新鮮で、視界が広がるように思います。