現代のアドラー派サイコセラピー
Adlerian Psychotherapy: An Advanced Approach to Individual Psychology (Advancing Theory in Therapy)
- 作者: Ursula E. Oberst,Alan E. Stewart
- 出版社/メーカー: Routledge
- 発売日: 2002/05/12
- メディア: ペーパーバック
- この商品を含むブログを見る
アドラー心理学が、フロイトやユングほどに取り上げられてこなかったのはなぜか?
この”Adlerian Psychotherapy “では、共同体感覚、器官劣等性など特有の概念はあるものの、それはアドラーが自身の心理学を可能なかぎり、日常語で語っていたことを理由の一つに挙げられています。そのために、あまりにも早く、現代心理学のなかに吸収されたのだと。
この本の試みは、しかし、アドラー派のサイコセラピーを、現代の心理療法の統合しようという流れ、社会構成主義、ポストモダニティといった潮流に置き直し、その有効性を示そうとしているものです。
まだ読み始めたばかりですが、
アドラーの器官劣等性と補償と関連づけてセリエのストレス理論や認知行動療法で扱われる生物ー心理ー社会モデルに触れられていることに非常に興味がわきました。
課題の分離について
ひとは何に突き動かされるのか?
その問いに、フロイトは性的欲動と答え、アドラーは優越への努力と答えました。
何かと対比される事の多いアドラーとフロイトですが、動因という問いを共有していたことは確かです。優越への努力とは、明日の自分は今日の自分より成長していたい、そのために今行う努力のことです。
で、アドラーは、優越への努力が向かう方向は共同体感覚に大きく左右されるといい、神経症患者、犯罪者、性的倒錯者などは共通して自分のためだけに努力するか、または、そうした努力を避けると指摘しました。このようなひとは共同体感覚に欠けているひとたちです。
共同体感覚を持つひとは、社会の利益を優先して、そのために努力します。アドラーは、共同体感覚は正常な発達の基準だとも言っています。
ただ、その正常さが何なのかは、そのひとが所属する共同体によっても異なります。
お国のために、神のために、というのも共同体の論理です。「共同体」という言葉には、20世紀の思想的な危険な香りが拭えません。
これは翻訳の問題なのかもしれません。
もともと、共同体感覚はドイツ語で、英語では、social feeling、social interestという言葉で置き換えられています。
ひとの関心が自分だけに向かうのか、目の前の他人も含めた社会全体へ向かうのか、それによって優越への努力は変わってくるというのは理解できます。
ただ、一方で、世界はそのひとが認知した世界であり、そのひとが世界をどのように見ているのかによります。つまり、社会はどうあるべきなのかによっても社会的関心の向かう先は異なるのではないか?
共同体といっても、さまざまな構成員、さまざまな理念、それがより大きな共同体の中で果たす機能や役割があります。
家族、学校、会社、地域、国、民族、宗教など、さまざまな共同体が存在します。さらに、ふつう、個人が所属する共同体は1つだけというのはありえません。つまり、共同体間の葛藤もあれば、個人の中でも、諸々の共同体についての葛藤があるのです。個人として、このような葛藤をどのように乗り越えていけばいいのでしょう?
アドラーによれば、そうした葛藤こそ、対人関係から生じたものも考えられそうです。
ひとの悩みは対人関係から生じる。
アドラーがそのように言うのには、個人は個人として1つの統合された存在だという前提があります。
共同体から生じる葛藤も、私が抱える葛藤と他の人の葛藤は異なるのです。ゲシュタルト心理学でも、私は私、あなたはあなたです。
ここで、課題の分離の意味がはっきりするのではないかと思います。
私は私、だからあなたとは関係がないと言うことではありません。それでは社会的関心が欠如していることにしかなりません。
私の課題は私のものであり、あなたのものではないということを認めつつ、それを共有できる課題としていっしょに解いていこう。それが課題の分離ということではないのか。
そう考えると、上記の共同体の危険な香りは、個人の統合性を除外した考えだとわかります。そこでは課題の分離はありません。むしろ、私はあなた、あなたは私と同一視することから生じるのです。これは支配と服従の論理です。
共同体感覚、社会的関心がアドラー心理学の核となる考えであることは確かです。ただ、個人の統合性を差し引いてしまうと、容易に共同体の罠にはまってしまうことも明らかです。これは政治的な問題であり、まさに生き方の問題だと感じます。
キャリコン受験に役立つアドラー心理学
前回、ご紹介した向後先生の本は、アドラー心理学の全体像をワークを通しながら学ぶことができるようになっています。共同体感覚や劣等感などの概念も、体感しながら学べるという点が、特に、アドラー初めてという方におススメしたい理由です。
キャリコン受験を目指されている方にとって、アドラーに触れておくことは非常に役立つはず。そう考えています。
なんで?
キャリコンの教科書に出てくるカウンセリング理論やキャリア理論。種々の理論を整理してインプットしていくために非常に役立つ、そう思うからです。
アドラーじたいはキャリアコンサルタントの教科書では、あまり取り上げられていません。「新時代のキャリア・コンサルティング」で、渡辺昌平さんが解説されているくらいでしょうか。また、本試験でも過去の出題数はそう多くはありません。毎回、数問出題されるスーパーやシャインと比較すると、直接的な試験対策でのウェイトは低いとは思います。
確かに試験合格には、過去問の出題傾向を踏まえ出そうな理論を覚えるのも対策として必要だとは思います。その点からいうと、アドラー心理学を知っていても1問取るか取らないかの話になります。ただし、第四回以降、難化傾向にある学科試験では、四肢選択形式とはいえ、単に覚えていただけでは解けなくなってきているのは事実。
それだけにカウンセリング、キャリアの分野も体系的に整理しインプットしておく必要があるはずです。
体系的なインプットを考えたときに、どういう整理手法を取るか?
歴史の流れに沿って整理するのも一つの手。
たとえば、「キャリアの心理学」のキャリア発達鳥瞰図を使って整理していく。
それとは別に、ポイントで俯瞰していくという手もあります。そこで、アドラー心理学を使っていく。目的論、仮想論、全体論、社会統合論、個人の主体性。アドラー心理学のこれらの理論を軸において、フロイトからエリスやベック、スーパーからサビカスまで並べていきます。そうすると、キャリコンの理論全体が俯瞰して見ることができるようになります。フロイトは原因論で、アドラーとは逆なんだ、とか、スーパーの自己概念は個人の主体性から見てどうなんだろう、とか、認知療法と仮想論はいっしょかなあとか、考えていく作業をしているうちにしっかりと記憶に残ります。
記憶に残るだけではなく、考えないと解答できない問題にも解けるようになります。
試験対策のためのアドラー心理学を考えて見ましたが、アドラー心理学はもちろん、それだけにとどまりません。実際、キャリアコンサルティングに応用されている方もいらっしゃいますし。
(今回、紹介した本)
新時代のキャリアコンサルティング―キャリア理論・カウンセリング理論の現在と未来
- 作者: 労働政策研究研修機構,労働政策研究・研修機構=
- 出版社/メーカー: 労働政策研究研修機構
- 発売日: 2016/08/31
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
キャリアコンサルタントのためのアドラー心理学
http://amq87-coaching.hatenadiary.jp/entry/2017/03/25/経験代謝とアドラー心理学
最近もJCDAのキャリアカウンセリングとは何かというレポートを読んでいて、これはアドラーの劣等感に重なるなと感じました。
向後先生によれば、アドラー心理学での劣等感は、「明日の自分」に対し「今日の自分」にマイナスを感じるところから生じます。
「明日の自分」を「ありたい自己」と置き換えれば、より経験代謝のプロセスが肚落ちしてきます。
経験の再現から意味の出現へと進み、そこから意味の実現へと向かう、それはなぜか?
それはもともと、自己概念には成長傾向があるからだ、あるいはロジャーズを援用し、実現傾向があるのだと考えるのもありだとは思いますが、では、その傾向を促す手がかりをキャリアコンサルタントとしては探りたい。
「ありたい自己」を自覚したからといって、果たして自覚だけで、ひとは行動するものなのでしょうか?
ほんとうはこうありたいと思っていても、なにかと理由づけしてしまうことも多いのではないでしょうか?
たとえば、もっとバリバリ稼ぎたいと思っている営業マンを考えると、稼ぐためには訪問先を増やす必要がある。ただ、なかなかアポを取るための電話をかける気にならない。そこで、かけない理由をあれやこれや並べてみる。資料づくりで時間が取れない、とか、提案できる商品がない、とか。でも、電話をしてガチャ切りされるのが怖い、それが本音で、それを言いたくないから理由を探していることもあります。これは、自分で自分に嘘をついている、自己欺瞞ですね。
経験代謝での「ありたい自己」は、自己欺瞞ではごまかせないものだとは思うのですが、そうであれば、なおのこと、行動に現れるためには相当な働きかけが必要ではないかと思えてきます。
経験代謝は心がけに重きを置いていて、技法はあまりありません。なので、経験代謝を軸にして、実際、さまざまな心理療法の技法やアセスメントを使っていく必要があります。
その際、アドラー心理学は非常に有用だと感じます。
アドラー心理学は、個人をそのひと全体から見るという特徴があります。また、早期回想といった経験代謝に近しい技法もあります。
また、臨床心理学でのその影響の広さの点でも、経験代謝と同様、他の心理療法にもオープンです。
ロジャーズも、サビカスも、アドラーから影響を受けている点では、キャリアコンサルタントにとっても馴染みやすいはずだと思います。
あと、受験者にとってはアドラー心理学を知っておくと、カウンセリングやキャリア理論の整理がしやすくなるというメリットもあります。
アドラー心理学が初めてという方は、次の本がおススメです。
- 作者: 向後千春
- 出版社/メーカー: 技術評論社
- 発売日: 2014/12/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (2件) を見る
経験代謝について 持論アプローチ
立野会長の著書をよんでいると、「あれ?」と感じるところがいくつかあります。
たとえば、伝え返し。
よく、カウンセリングの指導で受講生にトレーニングさせているという指摘があり、経験代謝ではやらないというふうに読める。
他にもいくつかあるのですが、キャリアコンサルタントの養成講座で指導されてきたことと食い違うところがあり、戸惑ってしまうことがあります。
あと、感情の取り扱いも戸惑いを感じるところです。感情を拾えと言われるとそれは多分にテクニック的ですが、立野会長はテクニック的なことはほとんど書かれていません。立野会長が経験代謝を行ううえで注意しているのは心がけです。
察するに、これはある意味、経験代謝のシンプルさ、また、経験代謝が立野会長の持論であることに由来するのではないかと思われます。
立野会長の著書を読むと、経験代謝がどのように作り上げられてきたかがわかります。
それは、立野会長個人の疑問に発し、氏の経験をベースに、数多のキャリアやカウンセリング理論との格闘から作り上げられてきたものです。
たとえば、経験代謝の中心的テーマである、自己概念の成長はユングやロジャーズとも通底するものです。ただ、それが経験代謝がユング派あるいはクライエント中心療法をベースにしていることにはなりません。
また、経験の客観視、自己概念の影など、経験代謝の説明に使われている用語も、他の心理学用語で置き換えることもできるだろうと考えられます。ただ、そこにはほとんど意味はありません。
肝心なのは、実際の相談場面で役にたつかどうかだからです。
立野会長は、経験代謝の学びではクリティカルシンキングが重要だと強調されています。
これは自分の経験に照らし合わせての学びが大事だと、そういうことだと思います。
そう考えると経験代謝を金科玉条のような学び方は最悪ということなのでしょう。
経験代謝について で、どうすればよい?
かつて、河合隼雄がロジャーズの必要十分条件について、これだけではどうすればいいのかわからないと書いている。
受容、共感、一致はたしかにそのとおりなのだが、では、どうすればそれらができるのかについてはなにもロジャーズは言っていない。
経験代謝にも同じことが言えるのではないか?
そう考えると、養成講座でマイクロカウンセリングを学ぶのは、経験代謝には手法そのものが存在しないからだと思われる。
いわば、経験代謝を起こすためには、どのようなカウンセリング手法も心理療法も適用できると考えていいのではないか?
経験代謝がクライエントの心的過程であり、その心的過程の作動を促すのがキャリアコンサルタントであるならば、キャリアコンサルタントはどんな手法や心理療法をつかってもいい。そのために、精神分析や行動療法など幅広くカウンセリング理論を通覧するのだから。
経験代謝はあくまで一般的な水準での仮説なので、ここのクライエントに対してはそれを補完する考え方と手法を取る必要がある。
なにせ、経験代謝にはサイクルを回すための心がけしか書かれていないのだから。
経験代謝について メカニズムと条件
経験代謝は、まず、技法ではありません。それはキャリアカウンセリングによって生起すると想定される相談者の心的過程です。また、その組み上げられてきた研究過程を確認すると、数多のキャリア理論やカウンセリング理論をキャリアカウンセリングの実践を積み上げによって経験的に蒸留されてきたものです。したがって、経験代謝も臨床の知の1つに数え上げられるでしょう。
経験代謝が相談者の心的過程だということは、その説明の中でメカニズムと表現されていることからわかります。そして、このメカニズムが作動するには一定の条件が必要であることも示されています。
このメカニズムと条件ということからは、経験代謝には必ずしもキャリアカウンセリングを必要としないということも示されています。つまり、経験代謝は、条件さえ整えば、作動するものなのです。このことは、経験代謝が経験から学ぶ構造だということからも理解できます。経験から学ぶことは、人間誰でもやってることです。幼児が言語を習得する過程、修羅場を体験することで一皮向ける、トレーニングを積んでスキルを体で覚える。そう考えると、経験代謝とは認知発達として取り上げられるもので、ひとが生きていくなかで、つねに起きているものです。つまり、キャリアの主題に限らず、教育や臨床心理など発達をテーマとするところで、広く散見されるものです。
例えば、現在、学校教育で話題のアクティブラーニング。社会人研修でのワークショップ。それらの場で説明に使われることが多いコルブの経験学習。そのプロセスは、経験代謝のプロセスとも重なります。
キャリアカウンセリングで経験代謝が着目される理由は、キャリアカウンセリングの目的と重なります。
キャリアカウンセリングの目的は、環境への適応、成長の促進だと私は思います。いずれも自己の理解が前提です。この自己理解を進めるプロセスとして経験代謝のメカニズムを採用することで、キャリアカウンセリングの成果がより高められると期待されるのです。
キャリアカウンセリングの成果とはなんでしょう? それはより良い生活、生涯だと私は思います。ただ、より良いという実感は人によりさまざまです。こうした個別性も考えると、なおのこと、経験代謝のメカニズムはキャリアカウンセリングにおいて不可欠なものだと考えられます。
キャリアカウンセリングにおいて経験代謝は、キャリアコンサルタントが面談で心がけることを示唆してくれます。端的に、キャリアコンサルタントは相談者にその経験代謝のメカニズムが作動する意図をもって働きかけます。そのために、キャリアコンサルタントは、経験代謝のメカニズムが作動する条件を熟知しておく必要があります。ただ、それはあくまで作動する条件であって、条件はスイッチではありません。
いくつかの条件があります。
信頼関係の構築は、その条件のひとつであり、不可欠なものです。