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キャリアコンサルタント学習ノート

キャリアコンサルタントの学習記録

現代心理学の根茎=個人心理学

アドラー心理学の裾野の広さについては、多くの識者が指摘している。パールズ、ベック、エリス、マズロー、ロジャーズなど、著名なサイコセラピーの創始者への影響も、広く共有された認識なのだとうかがえる。特にナラティブセラピーがパックボーンとする社会構成主義の隆盛から見て、アドラーの個人心理学は元祖社会構成主義と考えられている。キャリアカウンセリングの分野においてサビカスのライフデザインアプローチは、キャリアへのアドラー心理学の具体的展開であることは確かだ。


アドラーの「個人心理学講義」や「人はなぜ神経症になるのか」などに目を通せば、アドラーが取り上げている心理的な側面や特徴は現代の心理学研究とも重なっていることは容易に見てとれる。たとえば、幼少期の思い出と自伝的記憶、優越感と内的動機づけ、母親の役目と愛着、ライフスタイルとビッグファイブ、家族布置とシステムアプローチ、共同体感覚と向社会行動、など。


アドラー心理学、即、個人心理学は、共同採掘場と呼ばれる。そこで想像されるのは、アドラーという根茎からいくつものサイコセラピーや心理学研究が根を張っているというイメージだ。だが、これまで、アドラー心理学は大学での講義もあまり見当たらず、特に、日本では人口に膾炙してこなかった。

現在の状況は、では、根茎への回帰といっていいのだろうか?ルーツの発見とそこに立ち返って、心理学を書き換えようということなのだろうか?そういうことではない感じがする。むしろ、いま、心理学には実地への応用を強く求められているということが背景にあるんではないかという気がする。 日常課題の解決が心理学に対して課されている現在、アドラー心理学の実効性の高さは魅力的だと捉えられているのではなかろうか?

では、そうだとして、アドラー心理学の実効性の高さとは具体的にどんなことを指しているのだろうか?

確かに、個人心理学の代表的な技法である、早期回想や課題の分離などの有用性も認められているのだろうが、アドラー心理学の技法は、アドラーが作り上げたものではあるが、実際、創始者の遺産に限られるものではない。むしろ、それがライフスタイルの読み取りであったり、再方向づけなどに役に立つなら、カウンセラーはどんな技法を使うのも構わない。ここには、厳格だがシンプルな鉄則ご機能していると思われる。つまり、クライエントの問題解決に役に立つことであれば、どんな技法を使っても良いし、使わない理由は存在しない。特定の理論や技法へのこだわりよりもクライエントへの貢献を優先する必要があるのだ。個人心理学者に求められている基準は、クライエントの個別課題の解決に役に立つのかどうかである。

また、個人心理学の実践は、再方向づけを意図する場合、その臨床的行為は教育的色彩を帯びることになるだろう。再方向づけは、リカレント教育だ。


間口の広さ、あるいは包括的であるのは、その核にある人間観によって切り拓かれている。そして、今も根を伸ばし続けている。