うまくいかないロープレは疲れる
昨日、夜、カフェで、1時間半ほどかけて、先日のロープレの文字起こしを仕上げました。改善点までは整理しきれていませんが、いろいろ課題はあるなあとあらためて感じました。後半、質問が多いというのは、ロープレのさなかにも自覚はあって、どうにか立て直そうとはしていたんだなと感じられます。で、クライエントの応答から立て直せる場面はいくつかあったことに気づきました。文字起こしした逐語を通しで確認していくことで課題は整理していきたいと思います。
で、今朝なんですが、寝坊してしまい、起きてもなかなか支度に取りかかれませんでした。どうも、ひどく疲れているようで、なんでこんなに疲れてるんだろうと考えつつ、河合隼雄先生のひどく疲れるクライエントの話を思い出し、この記事を書いています。
河合先生いわく、カウンセリングをしているなかでもひどく疲れるひとがいるとのこと。話を聴いていて、眠くなったり、クライエントが帰ったあとしんどくなったり。どういうクライエントかというと、肝心なことを話さないクライエントとおっしゃっています。ふうむ。
この河合先生の話が、逐語録の作成で疲れた自分にそのまま当てはまるわけではないですが、何かしらヒントが隠れているとすると、「肝心なこと」のような気がします。
今回のロープレのなかにも、「肝心なこと」が表れていません。腹落ちしない、腑に落ちない感覚は、ロープレの後も、文字起こしの作業中も、ずっとあります。
なんだろうなあって、なんか気持ちが悪い、気が重くなる、そんな感じ。
おそらく、これから逐語を検討していくとわかるんだと期待しているんですが、クライエントの語ったことをひとつのストーリーとして受け取っていない、だから、腹落ちしていない、そんな気がしています。
クライエントの語ったことに違和感をもったまま、ロープレが終わったので、自分のなかで消化しきれていないクライエントの言葉が残ってしまってるんじゃなかろうか?つまり、消化不良による疲労、そんな気がします。
うまくいったロープレは、クライエントもカウンセラーもすっきりします。むしろ、双方、元気になるものです。私自身も何回かそういう体験をしてきました。一方、うまくいかないロープレはやはり、疲れる、グッタリする。
その違いは「肝心なこと」が聴けているか、いないかではなかろうか?
河合先生の場合、クライエントによって疲れる場合があるということてますが、私の場合はカウンセラーの技量が未熟で、肝心なことが聴けていないことが、どうも疲労の原因のようです。
そして、この疲労はクライエントの語りを聴けば聴くほど、肝心なことが聴けていないことによる疲労は深くなるように思われます。それは消化不良のことばが単純に増えていくためでしょう。そう考えると、5分とかのロープレは、肝心なことまで辿り着かなくても、疲労は少ないと考えられます。
うーん、カウンセリングって、結構ストレスたまるなぁ。ただ、ストレスをためているのはカウンセラーの技量の未熟さだとすれば、カウンセリングの進め方によりストレスの負担を軽減できるんだろうとは思います。
あと、
話を聴こうとすると5分もたないと河合先生は言っています。ひとを聴こうとすると、いくらでも聴けるとも言っています。
わかる気がします。ただ、やれるかどうかというと、なかなか、至難ですね。