キャリアコンサルタント学習ノート

キャリアコンサルタントの学習記録

試験対策の状況

カウンセリングの実際―“心理療法”コレクション〈2〉 (岩波現代文庫)

カウンセリングの実際―“心理療法”コレクション〈2〉 (岩波現代文庫)

今週木曜日は、実技論述対策の最終日。ところが、仕事上の突発的対応のため、欠席。帰宅すると、学科対策の教材が届いていたが、授業のDVDは明日以降、小分け発送されるとのこと。また、メールで実技面接対策の事前準備に、YouTubeで動画を見ておくようにとの連絡がありました。明日は、学科の問題を解く、のと動画を見ることにします。


先週、スカイプ指導いただいてから自分なりに面談プロセスをずっと考えています。特に、クライエント中心療法が頭から離れない。スカイプ指導いただいた先生のロープレを再三聞き返していると、自分と先生の差はクライエントへの基本的態度にあると痛烈に感じる。ほんとうに心を傾けるとはどういうことか。先生のロープレを聴いていると、最初、どう聴いてもクライエントの話の矛盾が気になって仕方がなかったが、カウンセラー役の先生のかかわり方に焦点を当てると、決してクライエントの話を否定しないし、クライエントに対して疑問も発しない。むしろ、クライエントがわからないと言っていることに付き従っていることに気づきました。クライエントに寄り添うということは、こういうことを言うのかもしれない。


聴くということ自体がクライエントを受容すること、そのために、カウンセラーは二心をもつことなく、ただクライエントに向き合い、クライエントの理解に努める。伝え返しは、カウンセラーにとっては、クライエントの話を理解しているか確認しようとする行為である一方、それによってカウンセラーが自分を理解しようとしているということを表すという二重の意図がある。さらに、伝え返しにより、クライエントが自分の話を理解しようとしているひとを前に、さらに自己開示を安心して進められると同時に、カウンセラーの言葉が自己探索のトリガーになることが期待できる技法です。

伝え返しは、クライエント中心療法の中心的な技法ではあるが、この技法は基本的態度と一体のものだと考えられる。

スカイプ先生のロープレには、カウンセラーの価値観も、先入観も、クライエントの話を茶化そうとする態度も、いっさい入り込む余地がない。ただ、クライエントに対する違和感は現れている。そして、この違和感がカウンセリングを進める力になっていると思われる。

で、河合隼雄さんの本を開くと、

「共感的理解というのは、その人のされたことと、私のしたことがよく似ていて共感できるのではなくて、その人のしたことと、私の体験とは相当違うのだが、あるいは、違うが故に、その違う体験を共通に感じ合おうとしてこそ、二人は深い理解に至るといってよいかもしれません」

共感は、一人ひとり違うのだという前提があって成り立つ人間関係だというのは、平木さんの自他尊重にも見られるものです。

ただ、共感が成り立つ前提は、自他の違いだけではありません。今まで、当たり前過ぎて見落としていたのかもしれないと思うのですが、カウンセラーがクライエントへ心を向けていなければ、共感は起こりません。それはロジャーズの言葉では、無条件の肯定的関心であり、端的に受容と呼ばれる態度でしょう。

言うまでもなく、カウンセラーとクライエントは別の人間であり、そこに上下関係はありません。カウンセラーはクライエントとの違いに違和感を持ちながら、違いを尊重し、クライエントをありのまま受け止め、その人の話すことを含め、在りようのすべてに関心を向けている。クライエントに感じる違和感をことさらに強調して話題にすることはないが、それを隠す必要はないのですね。隠すとはカウンセラー自身に不誠実な態度をとることになります。違和感は違和感としてはっきりとカウンセラーは認識する必要があります。違和感を保持しつつ、カウンセラーはクライエントの理解に努める。そうしたカウンセラーの態度によって共感が起こり、クライエントの自己開示と自己探索が促されていく。


過去のロープレを振り返ると、どうも、ロープレだし、という考えが確かにあったなあ、と思い起こされ、顔が熱くなります。


字面での理解ではカウンセリングはできませんね。というか、字面での理解は表面的に過ぎないので、結局、役に立ちません。体験に裏打ちされた理解であり、かつ、血肉化されてこそ、その理解はホンモノなのでしょう。


試験の実技でもこれは試験だからとタカをくくらずに、むしろ、実際のカウンセリングだと思って臨まないといけないですね。