キャリアコンサルタント学習ノート

キャリアコンサルタントの学習記録

応用実習修了です。

昨日で応用実習が修了しました。

昨日は、修了試験のフィードバックを受けたのですが、ビデオを見ながら、クライエントの言葉を受け止めてなかったところがあったことに気づきました。

先日このブログに、「管理が大変です」というばかりで、何が大変なのか深まらないと書きましたが、実際はそうではなく、クライエントはバイトからの相談を受けたり、各所からの連絡の対応であったり、と普段の仕事の話もしていて、私自身、「調整」という言葉でまとめ応答していました。この「調整」という言葉はあまり適切ではないなと感じます。受け止めていないというのは、ここで「調整」とまとめてしまったことで、クライエントが大変だと感じていることを、私の側で削ぎ落としていたということです。

次に、このタイミングで、「誰か、相談できる人はいますか?」と質問し、そこからクライエントから「重荷」、「ひとりぼっち」や「ヒエラルキー」という言葉がでてきて、その言葉を伝え返していました。そこで、主訴は職場の人間関係、あるいは職場風土だと把握したのですが、そこでベルが鳴り、私の側からロープレを止めていました。

講師からは、事柄に焦点を当ててばかりで、内面に触れていないという指摘をいただきました。謙虚に受け止めようとは思うのですが、何か釈然としません。

何が釈然としないのか?

6分間という区切られた中で、自分では、主訴が職場に馴染めない、あるいは人間関係にあることもつかめたので、そこそこできたと感じていました。内面に触れるという点でも、「ひとりぼっち」、「重荷」、「ヒエラルキー」という言葉から、「このような状態で大変な思いで今仕事されているんですね」と、そのまま続けていれば応答していたと思います。釈然としない理由はここにあります。自分では主訴に近づいているので良しと考えている一方、講師からの指摘はそれとくいちがっている。フィードバックを受けた瞬間は釈然としない思いでした。

確かに、他の方のフィードバックでも、「立ち止まる」「味わう」ことの大切さを講師は指摘していました。

その点で、「誰か相談できる人はいますか」よりも、そこでクライエントが今感じていることにフォーカスしてもよかったのかもしれません。「お話しされて、今、どんなことが心にうかんでいますか?」とか。

今、考えると、講師の方の指摘は、面談プロセスそのものにあったのかなあと思います。面談内容が状況の確認に終わっている、ということなのでしょう。確かに時間制限はあるものの事柄に終始させ続けると、クライエントは辛くなったままのような気がします。


事柄に終始してしまうのは、日常のクセが出ているのかもしれません。おそらく、周囲の心情に触れるようなかかわり方が私の場合、少ないのでしょう。それが、このロープレの中に表れているような気がします。一方で、そうでなければ仕事が回らないと考えてもいます。

要はバランスの取り方なのかもしれませんが、事柄にフォーカスしないと物事が進んでいかないと考えているということは、確かに、これまでの自分の働き方の中では結構しっくりくるのです。ただ、そこに息苦しさを感じている自分も認めない訳にはいかない。

事柄の世界は日常の世界です。だとすると、その日常に悩みや不安を抱えて相談に来ているクライエントをいっときでもその日常から解放するかかわりを提供するのがカウンセリングという場であり、少なくともインテークにおいてのかかわり方が事柄に終始してしまうことは解放を求めているクライエントにはここも日常と変わらないというあきらめをもたせてしまうことになりかねないと思います。

もちろん、キャリアコンサルティングはクライエントを解放させることが役目ではありません。ただ、かかわり方につまづいてしまうと何にもならんということは確かだと思います。

講師の方からは、非常にありがたい指摘をいただきました。