繰り返される失敗
ミスが起きると、同じようなミスが立て続けて発覚することがある。
それを冷静に考えてみると、どうやら、自分の行動、あるいは認知に起因しているのではないだろうかと気づく。
ミスが続いているときは、さすがにへこむ。うんざりする。そういう心持ちの状態で、ミスを直視することは、かなりハードな作業になる。上司からも厳しい言葉を浴びせられるし、周囲の目も冷たく感じられる。他にやらないといけないことにも手がつけられない。ミスに囚われた状態に身動きが取れなくなる。硬直状態に陥ってしまう。
だが、しばらくすると、今度は、いかに今の状況から抜け出せないかとそればかり考える。あるいは、空想の世界に逃げ込んで、ミスから離れようとするのである。
ただ、歳食っていくと、こういう場合、どういう成り行きになるのかもわかっている。
会社の仕事は組織で成り立っているので、ミスのすべての責任が自分にあるとも考えない。が、孤立無援という状況は、さすがに苦しい。
モチベーションが下がると、ポテンシャルもさがる。これは自分だけでなく、これまで多くの人を観察した結果でもある。
まあ、でも、ミスはミスとして、続いたことはそれとして誠実に対処していくしか、結局、ないんだよな。
ミスしようとしてしたわけではないし、だいたい、チェックを怠った連中も一連托生だくらいに思っていていい。
ミスに責任を感じる必要はない。
やったことに対しては責任持って取り組む。
会社に対して申し訳ないと感じることは微塵もない。
と、いろいろな雑念が思い浮かび、交錯するのだが、これらは雑念以上の何物でもないということだ。だが、雑念にフォーカスしてしまうと、その思いが肥大し、それに囚われてしまうのだ。
むしろ、冷静に、客観的な心持ちを維持したい。それには雑念は雑念として捨てることが大事だ。パニック状態になればなるほど、雑念に囚われてしまう。それでも心に思い浮かんだことは、雑念と名付けて、捨てる。
ミスが繰り返されるのであれば、過去と現在のミスを比較してみる。そこに共通点がないだろうか?
そこに、自分が知らない自分が隠れていることがよくある。
あっ、そういえば、前のときも時間に追われていたな、とか、他の人にお願いできず、自分で抱え込んでたな、とか、自分の推測だけで処理してたな、あるいは、どっちもモチベーション最悪のなかで仕事やってたな、とか。
自分の行動のクセ、思考のクセが見つけられないだろうか?