アドラーの劣等感
アドラー心理学で、やや混乱を招く言葉に「劣等感」と「劣等コンプレックス」がある。両者の違いは、行動に結びつくのか否か。
私は劣等感を感じる。だから努力する。このようなとき、劣等感は行動の原動力となる。
私には劣等コンプレックスがある。だからやらない。つまり、劣等コンプレックスとは、行動しない口実なのだ。
勉強しない。だってもともと頭悪いから、やっても無駄でしょ。
その仕事はできません。だって以前やって失敗しましたから。
あの人とは付き合いたくありません。だって性格合わないし。
劣等コンプレックスの例を考えてみた。
やらない言い訳にも妙に納得させられてしまうときがある。また、本人がほんとうにそう信じているというのが厄介だ。
一方、劣等感は、明日の自分との差に対する感じのことである。
明日の自分を理想の自分と考えるといいのかもしれない。
理想と現在とのギャップ。
そのギャップを解消するために努力し、行動する。そのきっかけが自分が感じる劣等感なのか。
どうも自分の思いを上手く相手に伝えられない。相手が誤解してしまうことがよくある。もっと相手にきちんと伝えられたらいいのに。
この場合、コミュニケーションを上手く取れている自分が理想である。そのためにコミュニケーションスキルを高める努力をするという行動につながれば、上記は劣等感ということになる。
ところが、劣等コンプレックスの場合は、そのあとに続きがある。
まあ、でも誤解されるのはしょうがないのかも。相手が勘違いすることもあるし。
劣等感と劣等コンプレックスは、実は同じ事象から生まれてきている。行動につながるかつながらないかというのは結果であって、なぜその違いが生まれてくるのか?
劣等感は未来を見据える。
劣等コンプレックスは、やらない言い訳を、環境や過去の自分に求める。
劣等感は目的論につながるが、劣等コンプレックスはやらない理由を求める。
たぶん、ひとりのなかに、劣等感も劣等コンプレックスも同居してるんじゃないかなあ。
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