カウンセリングでは、いったい何が起こっているのか
心理学はこころを対象とする科学だと言われる。そこに、心理学が抱える難題が存在する。つまり、対象を直接取り扱えないという厄介な問題である。心理学の歴史は、それでもこの問題に真摯に向き合うことで、科学としての体系的な方法を作り出してきた。
心理学を基礎に置くカウンセリングでも、事情は同じ。
対面する相手とのコミュニケーションにおいて、相手の心のなかを透視できるわけではない。あるいは、自分の心でさえ理解できているのか、あやしい。
そこで、言葉や挙動、服装など、表現されているものを手がかりとして、相手のこころを理解していこうと試みる。
準拠枠という概念がある。
これは、ある言葉が言われたとして、その言葉を選んだ理由となるものだ。
『今日は蒸しますね』という声がけに、
『そうですね』なのか、『いや、爽やかに感じます』と返されるのか。この2つの応答の違いを生んでいるのが、それぞれの準拠枠。
カウンセリングでは、クライエントとカウンセラーの準拠枠はそれぞれ異なることが前提である。その前提で、カウンセラーが先ずやることは、クライエントの準拠枠の理解である。
そのとき、クライエントの表現が手がかりとなるが、それには言語的表現と非言語的表現がある。河合隼雄は、話を聞くのではなく、人を聴くと言ったが、そのためには、相手の言葉だけを捉えているだけではダメだということだろう。言葉と態度が一致しないということもある。『とっても楽しい』と、死んだ目をしていう、とか。その不一致がカウンセラーにとっては手がかりとなる。
準拠枠じたいは、過去の体験から育まれてきたものであると同時に、今、そのひとが生きている環境にも影響されていると考えられる。端的に、発達過程と対人関係。
そしてたぶん、カウンセリングのさなかにも、カウンセラーの表現はクライエントの準拠枠に影響を与えるんだろうな。