キャリアコンサルタント学習ノート

キャリアコンサルタントの学習記録

つかこうへい伝説

つかこうへいという劇作家、舞台演出家をご存知でしょうか?1970年代から演劇活動を開始し、「熱海殺人事件」で、戯曲の芥川賞と言われる岸田国士戯曲賞を受賞。代表作「蒲田行進曲」は映画化され、ブルーリボン賞など賞を総なめ。その後、富田靖子や牧瀬理穂、石原さとみ阿部寛石原良純他、多彩な役者による舞台を手がけ、また、韓国でも再三上演を行った。私が初めて観たのは、1987年ソウル版熱海殺人事件。セリフはすべて韓国語。つかこうへいが初めて韓国公演を行った舞台を東京に持ち帰った舞台。この舞台は韓国でも相当の評判だったと伝えられていて、当時、韓国語などサッパリわからなかったが、セリフのスピード感や展開の速さ、舞台上でふざけ駆け回る役者の姿に感動を覚えたのを思い出します。その後、「熱海殺人事件」は、役者が変わり、話の中身も変わりながら、たびたび再演されました。初期の頃は、タキシードを着た、ベテランの部長刑事が主人公で、その名もくわえ煙草の伝兵衛と名付けられていました。その後、この部長刑事はバイセクシャルであったり、母親殺しのサイコパスや売春する女部長刑事へと、時代とともに変わっていきます。初期では「ブス殺し」にフォーカスされていたストーリー展開も、部長刑事と婦人警官との愛人関係、オリンピックに出場できなかったスポーツ選手たちの悲哀といったように変えられていきます。このように、役者も変わり、話も変えて、「熱海殺人事件」は再演のたび、作りかえられてきました。一方で、捜査室を舞台に、部長刑事、婦人警官、新任刑事、容疑者などの登場人物が胸に抱えた葛藤や因縁、コンプレックス、価値観、感情をぶつけ合い、時に脱線したり、シリアスな場面で急に歌い踊り出したりしながら、浜辺という殺人事件現場の再現場面へと収斂していくという基本的な展開はどの作品でも変わりません。殺人事件の捜査という大枠は変わりはしないものの、そこに関わる登場人物によって、クライマックスに向かう展開はさまざまに変わるのです。

つかこうへいは戯曲よりも目の前の役者に重点を置いていました。「ホンより役者」という一言につかこうへいの演劇は集約できるのではないかと思います。作家が書けるのは4割であとの6割は役者が書かせてくれるとつかこうへいは語っています。シナリオライターの羽田はつかこうへいの演出を次のように語っています。

「とにかく目の前にいる役者をいじっていじって、その役者自身が気づいていない、その、個性みたいなものを、とにかくけいこ場で引きずり出して」

「要するに、こう、役者が頭で考えた役作りとか、なんか、その、役の読み込みだとか、ホン(台本)の読み込みだとか関係なくて、生の人間性を直接、こう、お客の前にさらすものだっていうところが普通の芝居と圧倒的に違うところじゃないですかね」

熱海殺人事件」の多彩なバリエーションは、羽田が指摘する、芝居とは役者の生の人間性をさらすものだという考えから発しているのは間違いありません。それを具体的に行う手法が口立てと呼ばれる、つかこうへい独特の作劇手法でした。

口立てでは、役者に演出家がセリフを言い渡し、役者がその言葉を吐く、それに続けて演出家が次のセリフを、というように、即興的に舞台が作り上げられていきます。

予め台本が準備されているわけではありません。

簡単な場面設定や役柄はあたえられてはいるものの、その場で役者はセリフや身振りを演出家から告げられ、言われるがまま、演じていくのです。

「なんだ、ここは人の住むとこじゃねえな」と演出家が言い、役者が「なんだ、ここは人の住むとこじゃねえな」と繰り返す。その役者の様子から直ぐにセリフが直されることもしょっちゅうだったと聞きます。

この口立ては時に10時間以上も続くことがあったといわれています。

では、演出家と役者たちの間で展開されるこの口立ては、より具体的には何が行われていたのでしょうか。

「わたしがお芝居しようとして、出しているセリフではなく、わたしの内面から出てくるセリフを、どんどんついて行ってたと思うんですね。そういうやり方でなければ、おそらく、ど素人だったわたしが舞台には絶対立てなかったと思いますね」


このインタビューに答えているのは

熱海殺人事件 売春捜査官」で部長刑事を務めた、由見あかりです。彼女は舞台に上がるまではケーブルテレビに勤務するOLでした。それまで舞台に上がった経験は皆無。つかこうへいが大分市に劇団を立ち上げた際、オーディションに参加、合格し、初めて舞台稽古を経験します。

彼女のインタビューにあるように、つかこうへいはどんどん彼女の内面をついていった、それは羽田が役者をいじりたおすといっていたことと符合します。由見の内面から浮かび上がってきたもののひとつは、当時の職場での女性の立場でした。90年代、職場での女性は男性のサポート役を求められることが多かったころです。彼女はその状況に疑問を感じていたようです。

「(女らしさを)求められてることはわかるからそれに徹すれば楽なのかもしれないんですけど、でも嫌なんですよね、やっぱりそれが。これ何か違うんじゃないかなって、自分の中であって」

つかこうへいは、彼女の内面からその違和感を引き出し、それをセリフとして彼女に吐き出させます。


「やっぱ女は使いもんにならん。お茶くみさせときゃいいってことになりますから、世の中の女の人のために、心を鬼にして踏ん張んなきゃいけないんです」

「しかしアタシも仕事をやっていて、男の嫉妬の激しさってのには、ほとほと参りました。女が相手となりゃ、ふだん憎しみあってた男どもが突然団結してかかってきます。でも負けませんけどね、アタシは」

「今、義理と人情は女がやっております」


これらのセリフも、口立てを続ける中、つかこうへいが引き出した、由見あかりの内面にあてたセリフです。舞台上で、彼女が発するこれらのセリフは部長刑事という役柄を突き抜け、由見あかりという女性そのものの生き方を表現していると考えられます。

セリフと役者について、つかこうへいは次のようにも語っています。


「役者にはひとつひとつの言葉を吐く時、その人の裏側にある生活史が出てくるんだよ。その人が持っている言葉との距離というものがな」


口立てでは、まず、役者は演出家との距離を目の当たりに感じることになります。そして、演出家が役者の内面に切り込む程度によって、演出家と役者との距離において、葛藤やコンプレックスなど役者がこれまでの生活史で気づかなかったものがあらわにさらけだされていくことになります。演出家に出会う以前に、この世に生をうけてから、両親、親兄弟はじめさまざまなひととのかかわりによって、役者の中に蓄えられてきたものが、演出家によって、舞台上の表現として形作られることになるのです。


「つかさんのセリフでずっとお芝居でやっていても、あの、役者としての本人も同時に見ているんですよね。つかさんに言われると「あっ オレの中にそういう要素があるのかもしれない」、「そう言えばオレ陰険なところあるなあ」とかね」

つかこうへいが早稲田大で活動を始めた頃から共に活動してきた平田満も、このようにインタビューに答えています。

口立てによって、目の前の役者の内面から彼/彼女らの生の人間性を引き出し、より輝かしく、より魅力的な存在として舞台にあげる。「熱海殺人事件」のバリエーションが多いのも役者が変われば、中身が変わるのもつかこうへいには当然だったのです。

このような演出手法であるからこそ、作品を作り上げていくプロセスは試行錯誤を繰り返しながらの作業であっただろうと想像できます。1つのセリフはたしかにつかこうへいが考えついたものであっても、役者を通して出てきた言葉によっては、言い直されたり、置き換えられたり、矢継ぎ早に役者にセリフを投げかけ続けていたのです。

「その辺がもう天才的に、こうスパンスパンスパンと間髪入れずに、それがものすごくおかしかったり胸を鷲づかみにするような、そういう言葉が、一瞬にして出てくる」


セリフを投げかけられる役者にとって、そのセリフは虚を突かれるものであったり、思いもよらないものであったりして、それが笑いや涙や戸惑いなど豊かな感情表現を引き起こすものであった。それがダイレクトに観客に伝わり、観ている者もまた、胸をわしづかみにされ、こころを揺さぶられ、魅了される。

つかこうへいは演劇がもつ「一回性」を重視していました。その日、その場所でしか表現されないもの、二度と再現されることがないもの、演劇がもつこの特性につかこうへいはこだわりをもっていました。ひとつの戯曲にベストな配役はないとも言い、二週間にわたる上演期間中でも、その日の役者の体調や精神状態によっても芝居の出来は変わるとも言います。付け加えて、演出家は椅子の硬さ、観客が劇場にたどり着くまでの階段まで考える必要があるとも言います。舞台が演じられる劇場によっても演出は変わるのです。

稽古場での口立てによる演出家と役者とのぶつかりあいにより作品が作り上げられ、劇場においてその作品が観客とぶつかり合う。つかこうへいの舞台は、演出家と役者、作品と観客とがぶつかり合うことによって生み出されるもので、その舞台はその日、その場所という履歴をもつのです。履歴をもつからこそ、その舞台は今となっては伝説としてしか残っていません。したがって、残された戯曲やビデオやエッセイ、インタビューから、私たちはつかこうへいの舞台について想像を膨らませるしかありません。そして、その膨らんだ想像においてこそ、今を生きる私たちのリアリティも見つかるのだろうと思われるのです。