キャリアコンサルタント学習ノート

キャリアコンサルタントの学習記録

自己理解の方法として、小説を書くこと

このブログの更新もせず、アクセス数ばかり気にしていたのですが、更新を中断していたのは仕事が忙しかったというのは建て前で、小説を書き続けていました。

書き始めたのは今年の5月で、やっと初稿を脱稿しました。

きっかけは先輩のキャリアカウンセラーの方が小説を書いているのを知って、自分も書いてみるかと思いつき始めたのでした。カウンセリングの勉強になるかもと考えたことがきっかけでした。

題材は、学生の頃に出会った友人の話にしました。ただ書こうと思っても、何十年文学作品からは遠ざかっていたため、どう書けばいいのか見当がつきません。それで、「ノルウェーの森」や「枯木灘」といった、昔読んだ村上春樹中上健次の小説を読み返しました。久々に読んだものの割と筋書きも記憶に残っていたのは発見でした。普段、忘れているようでも本を開けば思い出すものなんだとあらためてわかったのでした。


たった今書き終えたところで、ここに小説のことを書くのは、この体験を通じて、これはカウンセリングにもいかせるんじゃないかと考えているからです。


サビカスやコクランを持ち出すまでもなく、河合隼雄は物語を心理療法の立場から問い直していたのでした。社会構成主義とかポストモダンとか難しい理屈を理解しなくても、小説を書くと自分がどれだけの物語に囲まれているのか、あるいは抱え込んでいるのか、逆にむしろ生かされているのかを実感します。

自分が物語を作り出しているのではなく、むしろ、物語を見つけながら、その物語に書かされている感覚になっていきます。

スマホにこう書こうと筋書きや登場人物などをメモしていたのですが、実際にキーボードに打つ文章はそれとは違ってしまいます。どう続きを書こうかと思いながら、書いているうちに、思いがけず、書いた言葉が意味を持って、展開がひらけたこともあります。

書いているものを読み返すと、意図しないところで、先の展開を先取りして書いていたと気づいたこともありました。読み返すことでの気づきは非常に多くて、それは自分のものの見方、理解の仕方がはっきりと表現されていると思います。例えば、私は人称を無意識に使い分けています。名前で呼んだり、彼といったり、あの男、やつとか場面によって、同じ登場人物の呼び方を変えています。そのことに気づいてからは意識して名前の呼び方を変えるようになったのですが、そこに私は登場人物の感情を持たせているのでした。こうしたささいなことも含めて、自分が書いた小説には私の認知の仕方、アドラーがいうライフスタイルが表現されていて、読み返すことで、それに気づくことができたのでした。

小説を書くことは、キャリアコンサルティングでいう自己理解を身をもって経験することとも思います。あるいは経験代謝の意味の発見にも近いと思います。

途中、ユングを読み始めたことも影響しているかもしれませんが、女性の登場人物は、どうも不可解な行動をしがちです。夢と現実を行き来しているように、突飛な行動に走ります。また、それに男性の登場人物は驚かされています。そこに私のアニマの元型が表現されているのではないかとも読み取れるようにも感じます。

結局それかと辟易するところもありますが、自己理解の一つの方法であることは確かだと思いました。