キャリアコンサルタント学習ノート

キャリアコンサルタントの学習記録

試験に出てこないユング

ひさびさの投稿です。


私はもともと心理学の学習をしていてカウンセリングや心理療法に興味を持ち、それでキャリアコンサルタントへと流れてきました。

このブログでもアドラーやロジャーズについて書き散らしていますが、近頃はユングを読み漁っています。

日本でユングと言えば、河合隼雄さんの名前が浮かびます。私は河合隼雄さんの本は結構読んでいたもののユングその人の本は読んだことがありませんでした。錬金術占星術など、ユングと聞くと神秘的て秘教めいている印象があり、難解さ、晦渋さでも群を抜いているため、なかなか手が出なかったのです。


キャリアコンサルタントの教科書でも、ユングの名前は、「人生の正午」とMBTIがユングのタイプ論をベースにしているということくらいじゃないでしょうか。試験にもユングは出題されたことはないんじゃないかと思います。選択肢のなかで名前だけ使われていたとかそれくらいじゃないだろうか。そしておそらく、今後もそうそう出題はされないんだろうと思います。河合隼雄さんもそうだと思いますけど。

なぜかというと、キャリアコンサルタント制度が前提としているカウンセリングは、アメリカで研究発展してきたものがベースだからです。

ロジャーズが基本だとされるのもそのためですね。

日本でのカウンセリングや心理療法はロジャーズの影響をとても強く受けているのは確かです。

一方で、そういう状況に反発し距離を置く先達もいます。河合隼雄もそうだし、国分康孝もそうです。河合隼雄ユング派を標榜していますが、むしろ、日本人に適した臨床を考え続けた人だと考えます。西洋で誕生し発展してきた心理学や精神医学がそのまま日本人に通用するのだろうかと疑い、日本人ににとっての心理臨床を問い続けました。

国分康孝は、カウンセリング心理学者という立場から徹底したプラグマティズムで、健常者が成長、発達していく支援としてカウンセリングを考えていました。

河合隼雄には治療が、国分康孝は教育が、それぞれの立場を特徴づけるものではないかなあと思います。

国分康孝は流派にはこだわりませんでした。30年以上前から折衷派を標榜していました。カーカフのヘルピングを訳していますし、自身コーヒカップ方式を創出してもいます。論理療法の紹介もしています。要は、役に立つならなんでも使えば良いというのが折衷派です。プラグマティズムです。

ところで、河合隼雄によればユングの心理学は患者のために役に立つための心理学です。何が、ほんとうに患者にとって良いことなのかは非常に奥深い問題です。

なかなか就職できないで、やっと内定をもらった会社に入るのがほんとうにその人にとってよいことなのか。ようやく就職先が決まったからよかったというのは、キャリアコンサルタントが任務を遂行したという、その観点からに過ぎないのかもしれません。そんなの入って見ないと、ほんとうによかったのかどうかわからないことでもあるでしょう。

ユング心理学はなによりも患者の利益を優先し、それを徹底して考え抜こうとする心理学なのです。


ユングフロイト、そしてアドラーは時に比較されますが、ユング自身はフロイトアドラーを包括した体系を構想しています。

フロイトにはフロイトの、アドラーにはアドラーの患者さんがいるのです。しかし、それぞれの心理学では治療できない患者さんもいるのです。治療の対象をより広く、拡張して心理学を打ち立てたところに分析心理学の特徴があります。


ユング河合隼雄も、患者と対峙するところで心理療法を模索し続けたのです。それもプラグマティズムでしょう。


キャリアコンサルタントにとっては、国分康孝の方が馴染みがありますね。コーヒーカップ方式もそうだし、出題もされていますし。

国分康孝はカウンセリング心理学を健常者に対するものとして臨床心理学とは区別していますが、ユング河合隼雄がキャリアコンサルタント試験には出てこないのはその影響もあるのかと勘ぐっています。しかし、メンタルヘルス発達障害など、臨床心理学で扱われるトピックがキャリアコンサルタントも扱うのであれば、健常者を対象とするというカウンセリング心理学だけでは狭いと思われます。より広くクライアントと対峙する視点が必要なのだろうと考えます。

キャリアコンサルタントの教科書にも、精神分析認知療法、論理療法など臨床心理学と重なるトピックは取り上げられてはいます。ただ、それらが前提としている人間観よりもより広く、もっと多面的に捉える考え方が必要ではないかなと思われます。それをユング河合隼雄から学ぶことができるのではないかと考えています。