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キャリアコンサルタント学習ノート

キャリアコンサルタントの学習記録

問題解決と共感

昨年受講したカウンセリング演習のレジュメを読み返す。東京未来大学のスクーリングで4日間、12コマの授業。内容はロジャーズ。教科書は「カウンセリングを学ぶ」。


読み返して、カウンセリングについてはすでに多くのことを学んでいたことをあらためて思い出した。

この授業があったから、キャリアコンサルタントを取ろうと考えたのだ。

この授業で講師からいただいたフィードバックのメモは宝だ。

そのメモに「相談者のペースを乱さない(つきそうような)」というコメントがある。

このときのロールプレイは二十分。

その時間で、確かに主訴の把握、課題の明確化、今後の治療方針の共有を行い、時間内でクローズした。

それが、カウンセリングへの自信につながっている。

だが、応用実習でのロールプレイと比較すると、そこには雲泥の差がある気がする。


スクーリングでのレジュメを読み返しながら、はたとその違いがなんなのかのヒントを見つけた。

通常の問題解決とカウンセリングを比較した図。

通常の問題解決では、事実の整理から原因を探り、その解消に向けてのアクションと進める。これは、ふだんやってることでもある。一方、カウンセリングがそれとは違うのは、感情や気持ちに焦点をあてることで、クライエントが自ら問題解決に取り組めるようになることを目指す。


また、質問について、「カウンセラーの興味主導にならない」「事実を探ることに偏りすぎない」とある。


応用実習では、問題解決に偏重していたと思う。

カウンセリング演習では出来ていたことが応用実習では出来ていない。


カウンセリングは共感することだけではないし、共感に支えられ問題解決をカウンセラーとクライエントが共に進めていくものだが、共感に支えられないカウンセリングはクライエントにとって受け入れ難いものとなり、問題解決の進まないカウンセリングは意味がない。


そうだとすると、カウンセリング演習でのロールプレイでは何が出来ていたのか、そのイメージを自分の中に甦らせることがカウンセリングに対しての自己効力感を回復させるのに役立つと思う。

確かに、あの時には、クライエントとも通じ合うものを感じた。息が合う、そんな時間があった。

応用実習でも、それに近いロールプレイは何回かあった。

そうした場面では、確かに、問題解決と共感とのバランスが取れていたと思うし、それ以上に私はクライエント役へ意識を集中させていた気がする。

このように書くと、どうも自分が感覚だけに頼っている気がしてきた。

意図をもったかかわりをそもそもしていないのではないか? だとすると、クライエント次第で私のカウンセリングはうまくいったりいかなかったりするということになる。