あらためてカウンセリングって?
昨年大学のスクーリングでカウンセリングの授業に出たことがきっかけとなり、キャリアコンサルタントの養成講座を受講することを決めて、キャリアやカウンセリングについて学びながら、個人的にいつも頭の中にあったのは、つかこうへいのこと。「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」などの舞台作品を作りあげた劇作家、演出家。
つかの劇作手法は、彼独特の口立てと呼ばれ、台本より役者を中心に、稽古場で舞台を作り上げていくものであった。役者の生の人間性を何よりも大事と考えた。そのため、「熱海殺人事件」は、舞台に立つ役者によって設定も筋立ても異なる。
なぜ、つかこうへいがカウンセリングと結びつくのか?
演出家が役者と向き合う姿とカウンセラーがクライアントと対峙する姿を重ねているからだが、そこで交わされるコミュニケーションの形態は確かに異なる。
つかは一方的に、セリフを役者に与え、役者はその言葉をおうむ返しに吐き続ける。傾聴を基本とするカウンセリングとはまったく違う。
つかこうへいのこのような演出手法に、カウンセラーは何を感じ取り学ぶことがあるのか?
つかは、ひととひととは根本的につながりあえないと考えていた。だが、だからこそ、その空いたスキマをどううめていくかが大切だと考えていた。
そのスキマの埋め方は、コミュニケーションの取り方であり、生き方そのものである。そこに人間性が出る。
役者が何かを演じるのではなく、その生の人間性を魅力的に舞台に出現させること、それが表現であり、演出家の仕事だと考えていたのではないだろうか?
それは、ロジャーズのいう自己一致と重なるのではないか?
つかこうへいが役者の生の人間性を引き出すと同時にそれを役者の魅力として舞台に表現することを引き出した。
カウンセラーはふつうのひとが彼女が生きる日常において、彼女自身であると同時に彼女の魅力が発揮されるように、彼女自身の表現を共につくっていくのではないか?それがカウンセリングなのではなかろうか?
カウンセリングと演劇は、ロールプレイや心理劇など手法としての親近性がないわけではない。
私自身、中学生の頃に初めて、つかこうへいに接触し、十代にかなり影響を受けたという個人的事情もあるが、この歳になってカウンセリングに関心を持ったときに、つかこうへいが脳裏に浮かぶというのは、その影響の深さを感じざるをえない。
あるいは、つかこうへいに影響を受けたことがカウンセリングを選択したということなのかもしれない。