キャリアコンサルタント学習ノート

キャリアコンサルタントの学習記録

キャリアを支えるアドラー心理学

アドラー心理学について立て続けに専門書を読むと、100年ほど前、オーストリアの心理学者によって創始された学問というよりは、今だに未開拓で発展途上にある学問だという気がしてきます。
というのも、いずれの本にしても、ポジティブ心理学や社会構成主義アドラー心理学の比較や関連に言及しており、その言及もアドラーを源流とするのではなく、まさに現代のビビッドな問題にポジティブ心理学や社会構成主義と同様、アドラー心理学が応えうるものとして提示されているからです。単に、源流であるだけなら、無理にそこに遡る必要はないのです。心理学の生みの親、ヴントは、名前は有名ではあるけれど、書店には一冊も並んでいません。その点で、アドラー心理学は現代に生き続けている心理学です。

アドラー心理学は一人ひとりが各々のダイナミックな成長を目指すことを支援する心理学です。アドラー心理学の実践者は、共同体感覚の育成を目的にクライアントを支援します。共同体感覚は、不完全な自分を受け入れ、他者を気遣い、自分の居場所を作って、社会へ貢献することで養われていきます。
アドラー心理学では、クライアントを病人とは捉えません。勇気が挫かれたひと、共同体感覚が低い状態のひとと捉えます。病人も健康なひとも、共同体感覚という同一の枠組みによってアプローチしていきます。精神的な不調や疾患、生きづらさ、日常生活上の悩みや困りごとなど、ひとが抱える悩みは対人関係によるものだとアドラーは喝破しています。クライアントを取り巻く人間関係の健全さはクライアントの共同体感覚によって調査され、評価されます。クライアントの生き方、ライフスタイルがどれくらい共同体感覚を持つものなのかを調べていくのです。クライアントのライフスタイルを知るためには、クライアントが語ることだけではなく、身ぶりや動作、感情など、そのひとの在り様全体に目を向けます。そのひとの語りだけではなく、心理学者は行間を読むことにも長けていなくてはならないとアドラーは注意しています。こうして心理学者はクライアントの目的と生き方を理解していき、その理解をクライアントに確認します。しかし、それはクライアント自身も気づいていない、理解していないこともありえます。心理学者は常に自分が理解したことをクライアントが聞き入れられるタイミングでそれを伝えるようにする必要があります。また、表現の仕方にも配慮しなくてはいけません。心理学者はいつもクライアントを勇気づけすることを心がけて、勇気を挫くようなことはしてはならないのです。
アドラー心理学では仕事、交友、愛という、生きる上で重要な3つのタスクを設定しています。これらのタスクに向き合うとき、ひとは自分のライフスタイルを露呈します。それらのタスクが乗り越え難いものとして立ちふさがり、にっちもさっちもいかなくなることがありえます。このとき、心理学者はクライアントのライフスタイルをより共同体感覚の高い状態へ変えていくことを目指します。
仕事のタスクは、キャリア支援に直結します。ただ、このタスクは、交友や愛といった他のタスクとも深く関連します。キャリア支援において、アドラー心理学はキャリア上の問題にとどまらず、クライアントのライフスタイル、総体としての個人という見方を与えてくれます。
キャリア支援において、ひとと仕事とのマッチングがパーソンズ以来の中核的な役割であったとしても、現代ではひとと仕事との関係は一次関数的な、直線的に把握し難いものであり、ひとも仕事も、それらを取り巻く環境や文脈との関係を見過ごすことができません。アドラー心理学はキャリア支援者に対しても、現代の複雑さへの対処について示唆してくれるものだと思います。


Adlerian Psychotherapy (Theories of Psychotherapy Series®) (English Edition)

Adlerian Psychotherapy (Theories of Psychotherapy Series®) (English Edition)

アドラーに学ぶ対人関係の理論と技法

アドラーは、フロイトユングとよく比較されますが、一番大きな違いは日常の言葉で、自分の心理学を語ったことではないかと思います。フロイトのイド、ユングのアニマといった表現をアドラーはしませんでした。もちろん、アドラー心理学にも特有の用語はあります。が、それはギリシャ語など普段使わない言語から転用するようなことをアドラーはしなかったのです。これは、精神科医、心理学者、教育者としてのアドラーを理解するためには決定的に大事なことだと思います。相手は誰か、個人心理学を学ぶ相手への配慮、アドラーが普段使ってる言葉で語っているのほそのためではないかと。

アドラーの言葉からは、いつも、共感を伝えようとする姿勢が感じられます。日本語だとそのあたりのニュアンスが伝わりにくいのですが、英訳だと非常にシンプルな言葉で語っていたことがわかります。

これはもちろん、アドラー心理学の中核概念である共同体感覚につながっています。

共同体感覚についてアドラーはいろいろな言葉で語っていますが、私はシンプルに、幸福な対人関係のことだと受け取っています。自分が自分らしさを感じつつ、他者と信頼関係でつながっている、それが幸福な対人関係ではないか、そう考えます。人間は社会の中でしか生きていくことができません。完全に自分一人で生きていくことは想像を絶するほど困難です。道を歩くことから私たちは他者の仕事の恩恵を受けています。私たちの生活は、すでにさまざまな人々の仕事の成果で成り立っています。幾重にも錯綜し重なり合う人間関係の網目の中で、私たちは生活しています。一方で、この人間関係の網目は不幸の苗床とも言えます。人間の悩みは対人関係の悩みだとアドラーは指摘します。しかし、そこに幸福を見るのか、不幸を見るのかは、実は自分次第なのです。言わば、対人関係を幸福にするのも不幸にするのも自分の見方や行動次第なのです。そして、見方や行動は変えることができる。アドラー心理学は、不幸な物の見方や行動を幸福を産み出す見方、行動に変えるための理論であり、かつ、技法です。


アドラー心理学はキャリアコンサルティングにも大いに役立ちます。実際、サビカスはアドラー心理学の早期回想という技法を応用しています。というのも、アドラー心理学は元々生き方そのものを対象としているからです。職業紹介・指導だけでなく、生活全般、生き方そのものへとキャリアコンサルティングの活動は広がって来ています。アドラー心理学を取り入れることで、キャリアコンサルタントにはクライアントの職業領域にとどまらない領域にまで踏み込むことになります。

キャリアカウンセラーの関わりとは?

キャリアカウンセリング: 積極的関わりによる新たな展開

キャリアカウンセリング: 積極的関わりによる新たな展開


最近、キャリアカウンセリングについて、どうも誤解していたような気がします。
カウンセリングや心理療法といった臨床心理学とキャリアカウンセリングをごっちゃにしていたところがあったのではないか?
どうもキャリアカウンセラーをサイコセラピストと重ねて、同じようなイメージで捉えてきたのではないか。

この本を読むと、そのモヤモヤした理解の浅さが緩和され、そこに描かれたキャリアカウンセラーのイメージがすっきりと腹落ちしました。


キャリアコンサルティングにおけるキャリアカウンセリング

キャリアコンサルティング 理論と実際 4訂版

キャリアコンサルティング 理論と実際 4訂版

木村周、『キャリアコンサルティング 理論と実際』を昨日、読んでいて、キャリアコンサルティングがキャリアカウンセリング、キャリアガイダンス、キャリア教育を包括する概念であることを再確認。また、サビカスがキャリア支援として掲示している内容とも一致することを確認。

歴史的に職業指導からキャリア支援へと、この100年の間に変化してくる中で、働くということへの関わりは、指導から支援へ、職業生活から生きることそのものへ、より広がってきた。ガイダンスにカウンセリング、教育まで加わり、キャリア支援=キャリアコンサルティングという概念的な拡張も、実際に、学校教育における進路指導という言葉の意味の変化、就労支援の多様化、能力開発などの生涯通じた視点への移行を見据えたものだ。


この本で、木村がキャリアカウンセリングを包括的・統合的アプローチであることを強調していること、それを踏まえてシステマティックアプローチについて詳しく述べていることにあらためて注目しておきたい。これもキャリアコンサルティングの概念に基づく主張だと思う。

キャリアコンサルティングは、自己理解から職業理解、目標設定、啓発的体験、意思決定といったプロセスを踏むが、このプロセス自体、システマティックアプローチそのものだ。キャリア支援はクライアントの自己概念の成長を目指すものだと考えるが、その成長は行動変容まで結びつかなければ意味がない。

小説を書きました。kindleで、ぜひ!

1Q87 Book 1: 淋しい蝶々は午後二時ごろに舞う

1Q87 Book 1: 淋しい蝶々は午後二時ごろに舞う

主人公は50歳のキャリアカウンセラー。
資格を取ってキャリアカウンセラーとして働いてはいるものの、会社を辞めたことで家庭内別居。小説は主人公が過去を想起する、そんな場面から始まります。
内的な過去との対話の一方で、あるきっかけから同年代の引きこもり男性と面談することになり、その男性との関わりと並行して主人公の過去が語られていきます。
キャリアカウンセラーとしての面談場面もいくつか挟まれています。ただ、来談者にあまり寄り添うものではありません。どちらかというと失態が多いです。
小説そのものは中年の危機の内面の一つの資料として参考にはしていただけるのではないかと思います。
もし、興味を持たれたらぜひサンプルをダウンロードしていただけると幸いです。できれば、購入して読んでいただけるととても有り難いです。さらに、コメントを残していただけると望外の喜びです。

著者名は変えていますが、この小説は私が書きました。
小説なので創作ではあるのですが、物語を構想するのはキャリアカウンセリングにも役立つと考えています。
ぜひ、叱声いただけると幸いです。

キャリアコンサルタントって?

最近、キャリアコンサルタントとキャリアカウンセラーの違いが気になっています。

キャリアコンサルティングとは、労働者の職業の選択、職業生活設計又は職業能力の開発及び向上に関する相談に応じ、助言及び指導を行うこと、それを行うのがキャリアコンサルタントである、というのが国家資格として定義されたものです。これはキャリアカウンセリングとはやはり異なる定義だと思います。

個人の仕事や職業などキャリアに関連する相談を受け、その個人にとって望ましいキャリア形成を支援する、それがキャリアカウンセリングだとすると、キャリアコンサルティングはキャリアカウンセリングも含みつつ、マッチングやキャリア教育も包括した定義だと思います。

キャリアカウンセリングと比較すると、キャリアコンサルティングは実務的な機能面に着目した定義だと考えられます。

制度化される際、カウンセラーという言葉は日本では心理療法をイメージされるという理由で忌避されたのも、むしろより生産性の向上や労働力確保といった課題を意識されたためで、実務的な機能を強調したかったからではないのか、そんな気がします。


確かに、資格は資格に過ぎないので、自分の仕事は自分で作っていく必要はあるのですが。


自己理解の方法として、小説を書くこと

このブログの更新もせず、アクセス数ばかり気にしていたのですが、更新を中断していたのは仕事が忙しかったというのは建て前で、小説を書き続けていました。

書き始めたのは今年の5月で、やっと初稿を脱稿しました。

きっかけは先輩のキャリアカウンセラーの方が小説を書いているのを知って、自分も書いてみるかと思いつき始めたのでした。カウンセリングの勉強になるかもと考えたことがきっかけでした。

題材は、学生の頃に出会った友人の話にしました。ただ書こうと思っても、何十年文学作品からは遠ざかっていたため、どう書けばいいのか見当がつきません。それで、「ノルウェーの森」や「枯木灘」といった、昔読んだ村上春樹中上健次の小説を読み返しました。久々に読んだものの割と筋書きも記憶に残っていたのは発見でした。普段、忘れているようでも本を開けば思い出すものなんだとあらためてわかったのでした。


たった今書き終えたところで、ここに小説のことを書くのは、この体験を通じて、これはカウンセリングにもいかせるんじゃないかと考えているからです。


サビカスやコクランを持ち出すまでもなく、河合隼雄は物語を心理療法の立場から問い直していたのでした。社会構成主義とかポストモダンとか難しい理屈を理解しなくても、小説を書くと自分がどれだけの物語に囲まれているのか、あるいは抱え込んでいるのか、逆にむしろ生かされているのかを実感します。

自分が物語を作り出しているのではなく、むしろ、物語を見つけながら、その物語に書かされている感覚になっていきます。

スマホにこう書こうと筋書きや登場人物などをメモしていたのですが、実際にキーボードに打つ文章はそれとは違ってしまいます。どう続きを書こうかと思いながら、書いているうちに、思いがけず、書いた言葉が意味を持って、展開がひらけたこともあります。

書いているものを読み返すと、意図しないところで、先の展開を先取りして書いていたと気づいたこともありました。読み返すことでの気づきは非常に多くて、それは自分のものの見方、理解の仕方がはっきりと表現されていると思います。例えば、私は人称を無意識に使い分けています。名前で呼んだり、彼といったり、あの男、やつとか場面によって、同じ登場人物の呼び方を変えています。そのことに気づいてからは意識して名前の呼び方を変えるようになったのですが、そこに私は登場人物の感情を持たせているのでした。こうしたささいなことも含めて、自分が書いた小説には私の認知の仕方、アドラーがいうライフスタイルが表現されていて、読み返すことで、それに気づくことができたのでした。

小説を書くことは、キャリアコンサルティングでいう自己理解を身をもって経験することとも思います。あるいは経験代謝の意味の発見にも近いと思います。

途中、ユングを読み始めたことも影響しているかもしれませんが、女性の登場人物は、どうも不可解な行動をしがちです。夢と現実を行き来しているように、突飛な行動に走ります。また、それに男性の登場人物は驚かされています。そこに私のアニマの元型が表現されているのではないかとも読み取れるようにも感じます。

結局それかと辟易するところもありますが、自己理解の一つの方法であることは確かだと思いました。