経験代謝について 持論アプローチ
立野会長の著書をよんでいると、「あれ?」と感じるところがいくつかあります。
たとえば、伝え返し。
よく、カウンセリングの指導で受講生にトレーニングさせているという指摘があり、経験代謝ではやらないというふうに読める。
他にもいくつかあるのですが、キャリアコンサルタントの養成講座で指導されてきたことと食い違うところがあり、戸惑ってしまうことがあります。
あと、感情の取り扱いも戸惑いを感じるところです。感情を拾えと言われるとそれは多分にテクニック的ですが、立野会長はテクニック的なことはほとんど書かれていません。立野会長が経験代謝を行ううえで注意しているのは心がけです。
察するに、これはある意味、経験代謝のシンプルさ、また、経験代謝が立野会長の持論であることに由来するのではないかと思われます。
立野会長の著書を読むと、経験代謝がどのように作り上げられてきたかがわかります。
それは、立野会長個人の疑問に発し、氏の経験をベースに、数多のキャリアやカウンセリング理論との格闘から作り上げられてきたものです。
たとえば、経験代謝の中心的テーマである、自己概念の成長はユングやロジャーズとも通底するものです。ただ、それが経験代謝がユング派あるいはクライエント中心療法をベースにしていることにはなりません。
また、経験の客観視、自己概念の影など、経験代謝の説明に使われている用語も、他の心理学用語で置き換えることもできるだろうと考えられます。ただ、そこにはほとんど意味はありません。
肝心なのは、実際の相談場面で役にたつかどうかだからです。
立野会長は、経験代謝の学びではクリティカルシンキングが重要だと強調されています。
これは自分の経験に照らし合わせての学びが大事だと、そういうことだと思います。
そう考えると経験代謝を金科玉条のような学び方は最悪ということなのでしょう。
経験代謝について で、どうすればよい?
かつて、河合隼雄がロジャーズの必要十分条件について、これだけではどうすればいいのかわからないと書いている。
受容、共感、一致はたしかにそのとおりなのだが、では、どうすればそれらができるのかについてはなにもロジャーズは言っていない。
経験代謝にも同じことが言えるのではないか?
そう考えると、養成講座でマイクロカウンセリングを学ぶのは、経験代謝には手法そのものが存在しないからだと思われる。
いわば、経験代謝を起こすためには、どのようなカウンセリング手法も心理療法も適用できると考えていいのではないか?
経験代謝がクライエントの心的過程であり、その心的過程の作動を促すのがキャリアコンサルタントであるならば、キャリアコンサルタントはどんな手法や心理療法をつかってもいい。そのために、精神分析や行動療法など幅広くカウンセリング理論を通覧するのだから。
経験代謝はあくまで一般的な水準での仮説なので、ここのクライエントに対してはそれを補完する考え方と手法を取る必要がある。
なにせ、経験代謝にはサイクルを回すための心がけしか書かれていないのだから。
経験代謝について メカニズムと条件
経験代謝は、まず、技法ではありません。それはキャリアカウンセリングによって生起すると想定される相談者の心的過程です。また、その組み上げられてきた研究過程を確認すると、数多のキャリア理論やカウンセリング理論をキャリアカウンセリングの実践を積み上げによって経験的に蒸留されてきたものです。したがって、経験代謝も臨床の知の1つに数え上げられるでしょう。
経験代謝が相談者の心的過程だということは、その説明の中でメカニズムと表現されていることからわかります。そして、このメカニズムが作動するには一定の条件が必要であることも示されています。
このメカニズムと条件ということからは、経験代謝には必ずしもキャリアカウンセリングを必要としないということも示されています。つまり、経験代謝は、条件さえ整えば、作動するものなのです。このことは、経験代謝が経験から学ぶ構造だということからも理解できます。経験から学ぶことは、人間誰でもやってることです。幼児が言語を習得する過程、修羅場を体験することで一皮向ける、トレーニングを積んでスキルを体で覚える。そう考えると、経験代謝とは認知発達として取り上げられるもので、ひとが生きていくなかで、つねに起きているものです。つまり、キャリアの主題に限らず、教育や臨床心理など発達をテーマとするところで、広く散見されるものです。
例えば、現在、学校教育で話題のアクティブラーニング。社会人研修でのワークショップ。それらの場で説明に使われることが多いコルブの経験学習。そのプロセスは、経験代謝のプロセスとも重なります。
キャリアカウンセリングで経験代謝が着目される理由は、キャリアカウンセリングの目的と重なります。
キャリアカウンセリングの目的は、環境への適応、成長の促進だと私は思います。いずれも自己の理解が前提です。この自己理解を進めるプロセスとして経験代謝のメカニズムを採用することで、キャリアカウンセリングの成果がより高められると期待されるのです。
キャリアカウンセリングの成果とはなんでしょう? それはより良い生活、生涯だと私は思います。ただ、より良いという実感は人によりさまざまです。こうした個別性も考えると、なおのこと、経験代謝のメカニズムはキャリアカウンセリングにおいて不可欠なものだと考えられます。
キャリアカウンセリングにおいて経験代謝は、キャリアコンサルタントが面談で心がけることを示唆してくれます。端的に、キャリアコンサルタントは相談者にその経験代謝のメカニズムが作動する意図をもって働きかけます。そのために、キャリアコンサルタントは、経験代謝のメカニズムが作動する条件を熟知しておく必要があります。ただ、それはあくまで作動する条件であって、条件はスイッチではありません。
いくつかの条件があります。
信頼関係の構築は、その条件のひとつであり、不可欠なものです。
経験代謝について 経験の客観視
経験代謝がわかりにくいのは、経験の客観視という点だと思います。
私はここがなかなか理解できません。
経験の再現を促すことにより、相談者が経験を語っていくなかで、キャリアコンサルタントは相談者の自己概念の影を捉えて、それを返してあげることで、相談者は自問自答する。経験の客観視は、この自問自答によって起きるようです。
やだなぁと感じている同僚について、上司と話している。やだなぁと感じる出来事を話していると、上司がどうも合点がいかない表情。「それって、おまえのことじゃないの?」と返され、なんでそんなこと言われるのか、一瞬戸惑い、ただ、そう言われてみると、自分もその同僚と似たようなことしているなあと思い起こす。自分の中にやだなぁと感じる同僚と同じ一面があることに思い至る。
「頭を冷やす」ということなのかもしれませんが、今書いた一場面が経験の客観視だということなのか?
だとすると、私がつまづいているのは、客観視という言葉なのだと思います。
経験代謝では、当事者意識が強調されます。
最初は他人事として語られる経験を自分ごととして捉えるようになる。この他人事から自分ごとへの変化のなかで、経験の客観視が起きる。そこを通り抜け、意味の出現につながる、ということのようです。
ただ、そこでは、説明されていない何かがあるようでもどかしさを感じるのです。
私の理解が不足しているのかもしれませんが、経験を自分ごととして捉えるとは、経験に映される自己を見ることのはずです。それは客観視することなのでしょうか?
経験が映し出す自己は、見たくない自分の場合もあるのです。その場合、精神分析でいう防衛が働くこともある。防衛への対処はここでは手に余るので踏み込むのはやめておきます。要は、経験の再現によって映し出される自己を見ているのも自己ではないか?
ここで、経験代謝の目的に立ち返ると、経験代謝が目指すところは、自己概念の成長です。経験の再現によって、経験が映し出す自己、そしてそれを見る自己という分裂が生じる、それを経験の客観視と呼ぶのかなぁ?
さらに、その分裂から統合へ向かう、つまり、映し出された自己を取り込むことにより、自己が成長していくということが想定されている?
たしかに、ピアジェの同化と調節が、経験代謝の説明で引用されているのです。経験代謝は調節を敷衍しているのは確か。また、見方を変えると、それはユングの心理療法と同様、弁証法的なプロセスだとも言えそうです。
客観視という言葉につまづくのは、客観視という言葉が他人事という言葉とつながっているように私の辞書に載っているからなのかもしれません。ただ、前述のように、経験代謝の説明では、それは、当事者意識によって作動するのです。
ピアジェが援用されているのは経験の客観視がまさに認知過程を踏まえていることを示唆しています。
なんかまどろっこしい記事になりました。
ただ、経験代謝を理解するには、このように、ひとつひとつ、紐解いていく作業が必要ではないかと思います。
経験代謝の説明にクリティカルシンキングが言われているのもそういうことなんではないでしょうか?
経験代謝について
先日のピアトレの反省もあり、あらためて経験代謝の復習のため、JCDAの「キャリアカウンセリングとは何か」を読んでいます。
一点、気になったのは、社会と経験という言葉の意味。
このレポートでは、これらの言葉はほぼ同じ意味で使われていると思います。それも故意にそのような書き方をしているように感じる。つながりという言葉を際立たせるために、そうしているのではないか?
社会との肯定的なつながりを自己概念の中に見いだす、それを意味の出現というならば、自己概念が投影される経験そのものに、社会そのものも投影されている。
経験代謝の経験とは、何より、相談者の心象が映し出された表現です。出来事やそれに対する感情も綯い交ぜになった心象の表現です。
その表現を通してキャリアコンサルタントは、相談者の自己概念の動きを推し量る。
推し量るというのは、その表現は自己概念そのものではないからです。
経験代謝では、自己概念の影という言い方があり、その影を捉えて相談者に返すことが強調されます。繰り返される言葉、独特の表現。私は、これが苦手です。なぜなら、相談者の身振り手振り、言葉、つまり、相談者が表現しているものすべてが自己概念の影ではないか。そう考えると、そこは返してあげないといけないと言われても、なんで?と思ってしまうから。
返すんなら、すべて返す。あるいは、まとめて返す。今回のピアトレでは、そういう自分のスタイルが垣間見え、どうも、それだと満足されなかったことが腑に落ちなかったのですが、要は、相談者は自分の話のツボを押してもらいたいのに押してくれない、そんなもどかしさがあったのでしょう。話された話題も養成講座で何回も話しているらしく、持ちネタだったようです。
ただ、どうなんでしょう?
あらためて振り返ってみると、彼女が押して欲しいツボは自己概念の影ではないと感じるんですね。
持ちネタって、結局、つくり話と同じで、自己概念には何ら影響しないから。
河合隼雄の3C
河合隼雄、村上春樹の対談録に、河合隼雄先生が3つのCを紹介されています。
コンプレックス、コンセントレーション、コミットメント。
コンプレックスは情緒的な次元で、いろいろな感情や思いががんじがらめになっている状態。
コンセントレーションは、意識と無意識との相互作用によりさまざまな心象が統合されて、象徴的に表現されるもの。
コミットメントは関わりへの主体的な態度。
これら3つのCは、河合隼雄の心理療法を理解するためのキーワードには違いない。
私は、その中でも、コミットメントは、心理療法が心理療法であるために不可欠なものではないかと思います。
セラピストの仕事は命がけだと、いろんなところで、河合隼雄先生はしゃべられています。この命がけという言葉がコミットメントの核心なんだと思います。
イノチガケ、それだけのコミットメントをセラピストがもっていないとクライエントが治癒するということは起こらないのでしょう。
セラピストのクライエントへの関わり方については、ロジャーズは無条件の肯定的関心、あるいは受容と表現しています。
第5回のキャリアコンサルタント試験結果
第5回キャリアコンサルタント試験の結果が発表されましたね。
第4回の学科より合格率は戻りましたね。
ただ、第3回までの60%までは戻らなかった。
受験生は、第4回を踏まえての対策を取っているはずですから、学科は難しくなりつつあるんでしょうね。
一方、実技試験は各試験機関ごとの合格率は安定してきているように感じます。
協議会の受験生も確実に増えつつありますね。
◎日本キャリア開発協会
学科試験
申込者数 1,805名
受験者数 1,687名
合格者数 867名
合格率 51.4%
実技試験
申込者数 1,341名
受験者数 1,282名
合格者数 842名
合格率 65.7%
◎キャリア・コンサルティング協議会
学科試験
申込者数 1,127名
受験者数 1,058名
合格者数 513名
合格率 48.5%
実技試験
申込者数 800名
受験者数 773名
合格者数 557名
合格率 72.1%