ことがらときもち
養成講座の受講中、事柄と感情を聴き分けろ、とか、感情に焦点をあてましょうと指導を受けましたが、なんか、よくわからなかったんですね。
話されることばに感情は込められてるし、そのことばを返すことは感情にちかづいていることなんじやないか?
5、6分のロープレの中で、そうそう気持ちの核心までクライエントが打ち明けるんだろうか?
前にも書いたスカイプ塾で学んだことで、それよりももっと大事なことは、クライエントから自分の気持ちを離さないことだと気づき、それで、試験にも受かったのですが、やはり、事柄と感情は、どこかでひっかかりがありました。
最近、精神対話士についての本を読み、この事柄と感情について、ああ、そういうことかと腑に落ちました。
うまい説明ではないのですが、事柄というのはクライエントの端々のことばであって、それらのことばはクライエントが今抱えている感情、つまり気持ちから発せられたものなんだなと思います。
「今日、上司からまた資料の出来が悪いって言われてさ」
「出来が悪い?」
「そうなんだよ。でも、どこが悪いのか、具体的な指摘もなくてさ。どこを直せばいいのか」
「うーん、どうすればいいのか、わからない、と」
「そうなんだよ。こっちとしちゃ、結構、資料集めて、まとめたんだけど、そういう努力をみとめてくれないんだよね」
「努力を認めてくれない」
「なんか、やる気が失せるよな」
上司からの指摘を受けたが、具体的なことは何も言ってくれない、というのはことがら。
そのことがらを追っているだけでは、そのひとのきもちは見えてこない。
というか、ことがらを理解しようとしている限りは、きもちはわからない。
そのひととのかかわりで、何を感じるか、そこが大事だと思う。
LISTEN to my heart, looking for your dream.
ぼーっと聴く。
かかわり行動、できてますか?
聴き手として、視線を決して合わさない、顔を向けない、そんなワークを体験したことはありませんか?
カウンセリングやコーチングなどコミュニケーションについての研修、そう、キャリコンの養成講習でも、私は体験しました。
経験のある方は、このときの話し手としての体感を覚えていますか?
覚えていないという方、あるいは経験がないという方は、試しにやってみてください。
実は、これに似たようなことは日常よく目にします。
周りを観察してみましょう。
自分のひとに対する接し方と相手の表情や態度をくらべてみましょう。
これ、初対面のひとが相手のほうが勉強になります。
実技面接試験は初対面のひとですからね。
インテークでは、クライエントは初対面なのは当たり前。
面接は、こころが通じるかが勝負です。
話が通じるか、ではありません。
面接がうまくいかない理由のひとつに、クライエントへの関心が不足しているというのがあります。
何を聞こうか、何を質問しようか、うまくやろう、失敗したくない。
自分のことで精一杯になり、クライエントを見ていない。
これは自分自身に意識が向いている状態。
それでは、初対面のひととの信頼関係はつくれないですよね。
相手に好意的関心を向けること。
それを意識だけでなく、身体全体を使って表現すること。
好意的関心をもってるかどうかは、自ずと、態度に表れます。
視線の動き、声の調子、身体の向きなどから、このひとは自分の話を聞いてくれるのかどうか、話し手は察知します。
ああ、あんまり聴く気持ちないなあと思われたら、話し手の気持ちは萎えます。
初対面のひとに話すときは、誰でも警戒します。まして、自分の困りごと、悩みごとを打ち明けることはそうとうな気力と勇気が必要です。
好意的関心は、話し手のそんな気持ちを励まし、語りを促すのです。
「今日はどんなご相談でいらしたんですか?」と目も合わせず、棒読みで言われたら、話したいと思っていても、ためらいが生じて、ことばは口から出て来ません。
この場合のキャリアコンサルタントの態度は自己不一致な状態です。言っていることと態度が違うんですから。
まなざし、声、身体の動きなど、クライエントはキャリアコンサルタントそのひとを感じています。
応答のひとつやふたつ間違ったところで、問題はありません。
むしろ、かかわり行動ができていないことは致命的です。
クライエントが自己開示してくれないからです。
逆に、かかわり行動がしっかりできていると、クライエントがどんどん話してくれるようになります。
聴いてますよという合図を身体全体で表現すろこと。
何しろ、インテークの目的は、クライエントと良好な信頼関係を作ること、ですから。
話さないクライエントについて
あるロープレで。
私 「こんにちわ、キャリアコンサルタントの□□です」
CL 「…」
私 「今日はどうぞ、よろしくお願いします」
CL 「…」
ロープレが始まってすぐの場面ですが、クライエントは目も合わせようとしてくれません。
私 「〇〇さんですよね」
CL 「あっ、そうです」
私 「〇〇さん、今日はどのようなご相談でお見えになられたんでしょうか?」
ここから、クライエントは勢いに乗って話し始めます。
よく、クライエントが話してくれないと聞きます。
話してくれるクライエントは楽、ということも聞きます。
ほんとうにそうなのでしょうか?
いっぱい話すクライエントは、覚えることが多くなります。また、話す量に応じて伝え返そうとすると、要約して返すことになります。むしろ、いっぱい話されると、話を促しつつ、話を記憶し、要点をまとめて、要約して返す。カウンセラーには結構負担がかかります。
それに、一方的に話しているからといって、信頼関係ができているとは言い切れません。クライエントは自分の不安を出したくないから、話続けているのかもしれません。
逆に、あまり話さないクライエントの場合の方がわかりやすいとも言えます。それは、自分に対し心を開きたくないというサインだと考えられます。
クライエントは、相談したいことがあって来ているとはいえ、何かしら、相談することに対して葛藤をもっているほうが普通だと思います。
特に、初回面接は、何のこころのハードルもなく、打ち解けて話せるほうがマレだと思います。
話してくれる、話してくれないというのは、表面上で考えていてもあまり意味はありません。
まして、クライエントに助けられたとか、話してくれないとダメだとか、そういったものではありません。
最初に書いたロープレのように、名前を呼ぶというひとことが、クライエントに話のきっかけになることもあります。
キャリアコンサルタントとして、自分の気持ちがクライエントに向かっているか、クライエントに関心を寄せているかどうか。
クライエントが、相談に来ながらなかなか話だせないのは、そこに葛藤があるからです。その葛藤を受けとめてあげているかどうか。
初対面のひとに、のっけからこころのうちをさらけ出せるひとは、そうそういないと思います。クライエントは、どこまで話そうかという気持ちを持ちながら、コンサルタントに心が許せる範囲で、話していくんだと思います。クライエントの方から、何もしなくても話してくれると思っていたら、どこかで失敗します。話してくれていることに安心していてもいけません。ほんとうに話したいことを話していないかもしれません。こう見せたいと思って話しているだけなのかもしれません。
対人関係で、初対面のひととの距離の取り方は、非常に気を使うところです。
試験だからそこは気を使う必要はない、ということはありません。むしろ、そこができていないと大きな失点ではないでしょうか?
なんでかというと、それは信頼関係の構築そのものだからです。
クライエントが話してくれなかったと感じた時は、自分の信頼関係の構築に課題がないか、ふりかえってみてはいかがでしょうか?
実技面接試験に向けて
今週、来週の土日は、いよいよ、実技面接試験ですね。
試験本番まで、まだまだ時間はあります。
実力を伸ばすためにやれることはまだまだあります。
これは経験者として自信をもってお伝えしたいことです。
【試験前日までにやれること】
・時間がある限りロープレしましょう。
・ふだんの日常会話でも、カウンセリングを意識した応答を心がけましょう。
・逐語録に目を通しましょう。もし、逐語録を作ったことがないひとは、とにかく、作って見ましょう。ロープレでなくても、ふだんの日常会話でもかまいません。自分の応答のクセをつかむことが大事です。
・キャリアコンサルティング技能検定の過去問から仮想で逐語録を作ってみましょう。お題から、自分はどんな言葉でクライエントに話しを促すか?クライエントはどういう言葉を返すのか?想像しながら作ってみましょう。試行錯誤しながら、まずセリフを文字にして見るのです。ときどき、読み返して、会話の流れに違和感はないか?おかしな展開になっていないか?確認しましょう。
・資格ホルダーにロープレをお願いしましょう。クライエント役になってもらい、自分の応答についてアドバイスをもらいましょう。
面接試験は実技です。
やれているか、やれていないかが問われます。
JCDAでも、協議会でも、面接の場面設定は同じはずです。
インテークで、カウンセリングの冒頭15分間。面談途中まで。
だとすると、本来、40分程度で、「自己概念の成長」や「問題解決」を行う前提で、冒頭15分、この時間で何ができるか?初めて会ったひとをクライエントとして。
そう考えると、試験でやることは自ずと優先順位が見えてくるのではないでしょうか?
クライエントがなぜ相談したいと思ったのか、その動機をつかむこと。
15分でやることは、その一点です。
そのためには、クライエントの話をしっかり聴くこと。
そのために、クライエントに存分に話していただくこと。
存分に話してもらうためには、
クライエントに好意的関心をもってかかわること、
クライエントの話ではなく、そのひとそのものに注目すること、
話か広がり深まるように、うなづきや伝え返しなどで、語りをサポートすること。
それだけで、15分はあっという間に過ぎてしまいます。
私の場合も、あっという間でした。
本来、自己概念の成長や問題解決は40分かけてやるものです。15分で経験代謝の意味の出現やシェロスバーグの4Sで方策を練るなんてことはできることではないし、むしろ、やってしまうのはマズいのです。
ちゃんとクライエントの話を聴けてるのか、考え直す必要があります。
そう考えると、実は、キャリアコンサルタントの実技面接試験でやることは、シンプルに傾聴するということに尽きます。
傾聴ができていないと、どれほど口頭試問で素晴らしい答えを返しても意味がありません。
第5回の学科試験を解いてみました
今日、8月28日、試験機関に第5回の学科試験、論述試験がアップされていたので、回答してみました。
結果、37問正答。
実際解いてみての所感ですが、第4回と大きく、各分野の比率が変わったわけではないと思いました。
ただし、前回のように疑問符のつく正答はほぼありませんでした。
サビカス、キャリアアンカー、メンタルヘルスが複数問、出題されてましたね。
国分先生が引き続き、出題されていましたね。
あと、厚労省の睡眠に関する指針は、ちょっとびっくり。
確かに、健康分野で睡眠はわりとホットな話題ですが。
厚労省の労働経済、文科省のキャリア教育に関する資料の読み込みは必須ですね、
また、キャリアコンサルティングのプロセスについては、やや難しくなったという印象を受けました。
論述は、JCDAの問題は見てみました。
出題傾向に大きな変化は見当たりません。
ただ、問3、問4は、どう書いたものか、悩みますね。
逐語の最後、クライエントのセリフをどのように考えるか?
自問自答してますね。
Ⅰは明らかに転職に絞り込んだ応答ですが、Ⅱは自己概念について自問自答を促す応答になっています。
異動という事実をクライエントが受け止めきれていない。そこに問3、問4の回答の手がかりがありそうですね。
クライエントの第一声は転職ですけど、それはクライエントのほんとうの問題ではないように思われます。
むしろ、クライエントが自分が目指していたところから外れてしまった、海外異動が果たされず、国内異動の内示を受けた。それがクライエントにとっては受け止めきれていない。
ただ、逐語の最後で、クライエントは自分に対して、自問自答しています。ここをどのようにキャリアコンサルタントとして考えるか?
それによって、今後の展開は変わってきますね。
私なら、一度、これまでの話を要約し、クライエントの来談目的を再度確認します。
その上で、あらためて今回の内示がクライエントの今後のキャリアにとっての意味について考えてもらえるように進めます。
逐語だとよくわかりませんが、このクライエントは結構、テンション高く、部屋にはいってきたんじゃないかなあ、という気がします。キャリアコンサルタントと話すうちに、だんだん冷静さを取り戻していった、そんな感じがします。
ナリワイからのキャリアカウンセリング
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「ナリワイ」は、キャリアカウンセリングの本質的な部分と重なり合います。
それはこれらは共に個人の個別性に拠ったものだからです。
また、ひとの成長への信頼も共通する要素でしょう。
ぱっと見、相反するように見えるのは、キャリアカウンセリングを就活のひとつのプロセスと見てしまうからでしょう。ほんとうは逆なのだと思います。キャリア形成において、就活はもともと手段だからです。キャリアカウンセリングはキャリア形成を促すものであって、そのための手段といえは手段かもしれませんが、就活が内定獲得を目的とする一方、キャリアカウンセリングはキャリア形成を目的としています。
キャリアコンサルタントがナリワイという発想に抵抗を感じるとすれば、それはキャリアを非常に狭く考えている可能性があります。
その意味で、ナリワイはキャリアコンサルタントにとって自分の立場を振り返させるものとして機能するものだと思います。
キャリアカウンセリングと就活支援
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「ナリワイをつくる」は、働くということをラディカルに問い直し、自分らしさを取り戻すことを提起していると思われます。
働くということを考えるとき、雇用を当然の前提としていることが多いけれども、それは果たしてあたりまえのことなのだろうかと問い直すことになります。
そして、それはあたりまえのことではないという結論にたどり着くのですが、その結論が説得力があるとすれば、それは論理的推論によるからではありません。
むしろ、現在の生活実感によるものです。
雇用をあたりまえとして考えることは、言わば、昭和文化の残滓によるという、極めて感傷的気分に浸っていたいという、ただそれだけのこと、なのかもしれません。
昭和文化の中で育ってきた私にも、共働き家庭や転職、フレックスタイム、残業削減、カクシュのハラスメントといったことに対する違和感は腹の底にないわけがないのです。
今の働き方改革で問題視されることがらに対して、どこか、なんでそれが問題とされるのか、納得がいかないところはあります。
ただ、都合のいいことに、「そういう時代だから」というセリフがあって、それでうけいれていると思ってるだけです。
それは、今の新たな生き方、働き方に取り組み始めている20代や30代のひとへの僻みなのかもしれません。
シェアハウスに仲間と暮らし、雇用ではなく、自分ができることをベースに仕事をし、多くを求めず、最低限暮らしが成り立つ稼ぎを得る。時間を切り売りせず、心を病むこともなく、それでいて、日々腕を鍛え上げ、自分の仕事が誰かの役に立っているという実感を持ち、仕事を通して、ひととつながり、仲間の輪を広げている。
このようなライススタイルは、雇用されていることを前提とするライススタイルに対して、その意味や価値を自問自答させます。
30年ローンで建てた家を出て、サラリーマンとして与えられた仕事を日々こなしながら、年収が自分の価値のバロメーター。残業削減のお題目のもと、導入されたテレワークで、帰宅しても仕事から離れられず、いつのまにか、うつ気味に。自分がやったことではないが、会社のものとしてお客さんとのトラブル処理に奔走。仕事しかやってこなかったため、孤独感に襲われ、ギョッとする。
仕事は、時にひとを追い込むことがあります。かつては、むしろ、サラリーマンは、率先して自分を仕事に追い込んでいたものでした。そのモチベーションは、はっきりしていました。今の苦労が将来の役職や年収につながるのだと。
「ナリワイをつくる」を読むと、経済力と生活力は概念として区別する必要があることに気づかされます。
経済力、即ち、生活力。
この発想は、モーレツ社員、3高、バブルなど、ときどきの経済状況に応じていろいろな標語を生んできました。
3cもそうですね。
技術進歩は生活を便利にもしましたが、それよりも、消費を煽るものであったのです。
もちろん、そのおかげで、私たちの今の生活かあることは、きちんと弁えておきたいですね。
その意味で、経済力、即ち、生活力という発想は、私たちの今の生活の土台を作り上げてきたのです。
「ナリワイ」は生活力をそのものとして考えてみようということです。
この発想が今、非常に意味を持つのは、経済力、即ち、生活力とは言えなくなったからではありません。むしろ、経済力は今でも生活力と同じものと考えられています。でなければ、国を挙げての生産性向上がお題目にあがることはありません。
生産性向上は、少子化のいま、重要な国策です。老人も、女性も、ニートも、フリーターも、日本国民一人ひとりが、1円でも多く稼がないと国が立ち行かない。年金制度を始め、様々な福祉政策が破綻してしまう。今の危機感の煽り方は、戦時の国民総動員を思い起こさせます。
「ナリワイ」は、何より生活実践ですが、その意味は、極めて政治的です。それは、民主主義的な運動ではなく、個人一人ひとりに根ざした運動です。デモのような集団行動でも、マスコミのような世論の扇動ではない、ミクロ政治学なのです。それゆえ、ゲリラ行動に近いものなのかもしれません。ただ、その展開は非戦闘的で、平和的なのです。それでいて、「ナリワイ」的生活に取り組むひとが増えるとどうなることでしょう。その破壊力は制度、組織、経済行動、社会構成、文化など、幅広い分野に及ぶでしょう。
間違えてはいけないのは、「ナリワイ」は経済力を否定するものではないということ。そもそも経済力は否定するとかしないとかのものではないので、そりゃそうだという話ですが、議論の展開において、否定することはわかりやすく、「ナリワイ」の読者の立場でも、そう考えたほうが理解はしやすいと思います。ただ、「ナリワイ」はそんな単純なものでは決してありません。むしろ、経済力を程度問題としていることが大事なのです。程度問題にしているとは、経済力を最優先に考えないということです。
年収はそのひとの人間としての価値を表してはいない、という至極当然のことをあらためて認めなくてはいけません。
さて、では、「ナリワイ」は、キャリアコンサルタントにとって、どんな意味を持つのでしょうか?