キャリアカウンセリング再考を読む
- 作者: 渡辺三枝子
- 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
- 発売日: 2013/10
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
修了試験の前後で、この本を再読し始め、今もカバンに入れて持ち歩いてる。
QA形式で書かれていて、自分が疑問に思うことに近い問いを探して読む、自分のカウンセリング体験とつきあわせて読むのに適した本だと思う。
応用実習に入って、ロープレなどで自分にとって腑に落ちない、釈然としない、講師の指摘が素直に受け取れないとき、なんかモヤモヤしたものを、少なくとも冷静になって眺め、整理をつける方法として本を読む。そのうちの一冊。
教科書や専門書を読んで理屈はわかるのだが、というケースがほとんど。シャインのキャリアアンカーやスーパーの自己概念、ホランド、サビカスなど手当たり次第読んだし、発達心理学やコミュニケーション論など、書いてあることをどこまでわかっているのかはまったく自信がない。
書いていることは記憶していたら、推測を立ててたぶんこうだろうと推測は立つ。ただ、それがどういう意味をもつのかはよくわからない。
フロイトの超自我、自我、エスは知っている。だが、それがどう役に立つのかはよくわからん。
理論は体験とつきあわせて、初めて機能し始めるのだと思う。理論は物事を説明するものなので、理論だけ知っていてもクソの役にも立たない。納得いく理解が得られるか、有効な議論が展開できるかという点が大事だと思う。
知っていることも情報としては重要ではあるのだが、理論を実践の場で使うということは、それ以上に重要なことだと思う。
昨日のフィードバックから釈然としない気持ちで「キャリアカウンセリング再考」を開くと、近い問いに「あるがまま」という項目を見つける。そこにはロジャーズの6条件が引用されている。
「すなわち、クライエントの「あるがままをとらえること」というのは、クライエントが体験している感情(おそれや落ち込みなど)をあたかも自分自身が感じているかのように感じ取り、しかもそこには自分自身の感情を巻き込ませていない、ということです。そのためには、クライエントの置かれている状況や感情をまずはよく理解し、そこに自分の感情や評価をはさまず、クライエントが語った状況や感情に適合した言葉と声の調子でクライエントに理解したことを伝えていくことが必要だと考えられます」
これはロジャーズの6条件のうち、特に、共感的理解に触れたものだ。この一文から、私が現在持っている課題が見えてくる。
クライエントとの対面で、自分の評価や感情が入り込んでいないか? 先入観の問題とも絡んで、勝手な解釈が働いていないか?
クライエントの感情をくみとろうとしているか?こういう状況だったら、当然そう感じているはずだと早合点していないか?
クライエントの話を聞き、自分が理解した内容や感情をクライエントに伝えているか?伝えていないとクライエントもカウンセラーが何を考え感じているのかがわからない。
これらの課題は、クライエントへ向き合う態度にも表れているのではないか?
応用実習修了です。
昨日で応用実習が修了しました。
昨日は、修了試験のフィードバックを受けたのですが、ビデオを見ながら、クライエントの言葉を受け止めてなかったところがあったことに気づきました。
先日このブログに、「管理が大変です」というばかりで、何が大変なのか深まらないと書きましたが、実際はそうではなく、クライエントはバイトからの相談を受けたり、各所からの連絡の対応であったり、と普段の仕事の話もしていて、私自身、「調整」という言葉でまとめ応答していました。この「調整」という言葉はあまり適切ではないなと感じます。受け止めていないというのは、ここで「調整」とまとめてしまったことで、クライエントが大変だと感じていることを、私の側で削ぎ落としていたということです。
次に、このタイミングで、「誰か、相談できる人はいますか?」と質問し、そこからクライエントから「重荷」、「ひとりぼっち」や「ヒエラルキー」という言葉がでてきて、その言葉を伝え返していました。そこで、主訴は職場の人間関係、あるいは職場風土だと把握したのですが、そこでベルが鳴り、私の側からロープレを止めていました。
講師からは、事柄に焦点を当ててばかりで、内面に触れていないという指摘をいただきました。謙虚に受け止めようとは思うのですが、何か釈然としません。
何が釈然としないのか?
6分間という区切られた中で、自分では、主訴が職場に馴染めない、あるいは人間関係にあることもつかめたので、そこそこできたと感じていました。内面に触れるという点でも、「ひとりぼっち」、「重荷」、「ヒエラルキー」という言葉から、「このような状態で大変な思いで今仕事されているんですね」と、そのまま続けていれば応答していたと思います。釈然としない理由はここにあります。自分では主訴に近づいているので良しと考えている一方、講師からの指摘はそれとくいちがっている。フィードバックを受けた瞬間は釈然としない思いでした。
確かに、他の方のフィードバックでも、「立ち止まる」「味わう」ことの大切さを講師は指摘していました。
その点で、「誰か相談できる人はいますか」よりも、そこでクライエントが今感じていることにフォーカスしてもよかったのかもしれません。「お話しされて、今、どんなことが心にうかんでいますか?」とか。
今、考えると、講師の方の指摘は、面談プロセスそのものにあったのかなあと思います。面談内容が状況の確認に終わっている、ということなのでしょう。確かに時間制限はあるものの事柄に終始させ続けると、クライエントは辛くなったままのような気がします。
事柄に終始してしまうのは、日常のクセが出ているのかもしれません。おそらく、周囲の心情に触れるようなかかわり方が私の場合、少ないのでしょう。それが、このロープレの中に表れているような気がします。一方で、そうでなければ仕事が回らないと考えてもいます。
要はバランスの取り方なのかもしれませんが、事柄にフォーカスしないと物事が進んでいかないと考えているということは、確かに、これまでの自分の働き方の中では結構しっくりくるのです。ただ、そこに息苦しさを感じている自分も認めない訳にはいかない。
事柄の世界は日常の世界です。だとすると、その日常に悩みや不安を抱えて相談に来ているクライエントをいっときでもその日常から解放するかかわりを提供するのがカウンセリングという場であり、少なくともインテークにおいてのかかわり方が事柄に終始してしまうことは解放を求めているクライエントにはここも日常と変わらないというあきらめをもたせてしまうことになりかねないと思います。
もちろん、キャリアコンサルティングはクライエントを解放させることが役目ではありません。ただ、かかわり方につまづいてしまうと何にもならんということは確かだと思います。
講師の方からは、非常にありがたい指摘をいただきました。
修了試験のロープレを振り返って
来談目的は仕事をやめようかと思っている、ということだった。
話を聴いていくと、1人で何人ものアルバイトや派遣社員を管理しなければならない、周囲の支援もあまり得られないとのことだったので、どうやら主訴は現在の職務環境にあるようだとわかる。
6分間という制限時間の中ではあったが、他に、上司との関係や管理という職務の具体的内容にも触れておけばよかった。仕事をする中で、何が1番大変なのだろうか? いや、これ、質問したんだけど、管理が大変です、と返されたんでした。そこで、質問を変えてもよかったんだけど、ふと、相手役がイメージしていないなと判断して、それ以上、おわなかったんです。役になりきっていない、というか。
ケースとしては、毎日の労働時間、体調の変化などを確認する必要はあるのだろうと思います。メンタルが気になる。
修了試験終わりました。
修了試験終わりました。
6分間のロープレ。
インテークの冒頭と中間試験と変わらず。
前回よりも早めの順番にしました。
私のケースは契約社員、32歳。契約が残っているが辞めようと思っているというのが来談目的。
総務部に配属されているが、派遣社員とアルバイトの管理を任されていて、それを重荷に感じている。バックアップしてくれるひとも周りにはいないため、非常に孤独ななか仕事をしている。
とても重たい仕事を契約社員の自分1人でやらないといけない。そこにクライエントの主訴がありそう。
6分間ではそこまでであったが続けていれば、さらに、契約社員の自分にそこまでやらせる会社への思いや上司との関係、さらにメンタル面の状態などを質問していたと思います。
こういう機会は、クラスの方たちのロープレも観察でき、色々な材料を得られます。
前回の試験では自分の価値観が出てしまうという課題を見つけました。
今回は、クライエントが発する言葉を鵜呑みにしてしまう罠を感じました。
事前に平木先生を読み返したことが頭にあったからかもしれません。クライエントの言葉はクライエントが意味づけしているものであって、カウンセラーがその言葉を聞き、思い浮かべる意味とは必ずしも一致しないと指摘しています。そういう観点から、今回、他の方のロープレを見ていて、この言葉の意味は確認した方が良いと何回か感じました。クライエントはこの言葉をどういう意味で使っているのか。将来開業を夢に持つ人が使うサラリーマンとは具体的に何を意味するのかは確認する必要があるはず。
クライエントの表現ではなく意味を伝え返す。クライエントが意味することをそのまま返す。そのためにはカウンセラーはクライエントの表現が意味するものを正確に理解している必要があります。ただし、そこに注意すべき罠が隠れています。
「家を描いてください」といえば、誰も屋根があり、壁があり、窓がありと描くのでしょうが、屋根、壁、窓の形や色は人それぞれ違うでしょう。意味とイメージの違いといった方がわかりやすいのかもしれません。クライエントの言葉を鵜呑みにするとは、そのイメージの違いを無視してしまうことだと思います。それでは、クライエントの世界を理解することにはならず、結果、カウンセラーの世界にクライエントを引き込もうとすることにしかならないと考えられます。
クライエントを共感的に理解するとは、イメージの違いを認識することであり、クライエントが描くママ、カウンセラーが受け止めることだと思うのです。
なので、カウンセラーは、「サラリーマンと言われましたが、具体的にそれはあなたにとってどのような意味なのでしょうか?」とクライエントに確認する必要があると思います。
冒頭書いた私の今回のケースでは、「管理するのが大変だと言われましたが、それは具体的にどんな仕事なのでしょうか?」と確認すればよかったと今思いつきました。
経験代謝とアドラー心理学
週明けの修了試験を控え、ノートの振り返りをやっています。
好意的関心をもってかかわることで、クライエントの経験の再現を促し、自問自答による自己理解、意味の発見という作業により、自己概念に気づいていただく。この自己概念を新たな軸にしてクライエントが意味の実現に向け行動するのを支援する。
経験代謝は、このようなプロセスで進んでいくのですが、このプロセス上現れる自己概念には、過去の経験を受け入れた自己だけではなく、自己理想も現れると考えられます。そのように考えた方が、クライエントの行動変容が説明つきやすいと思います。
そして、そのように考えたときに援用されるのがアドラー心理学でしょう。
アドラー心理学には、自己概念と自己理想とのギャップから劣等感が生まれ、それをうめるため補償しようとすると説明されます。ギャップは、ここでは劣等感ですが、行動への原動力となるんですね。
さらに、アドラー心理学ではそうした行動にも説明しています。キャリアコンサルティングのプロセス全体を下支えする理論にもなると思います。
それは無理やりではなく、アドラー心理学は現代の幅広い領域に影響を与える理論と実践であり、かなり包括的な理論体系だからこそ、その応用範囲も広いことが確認できます。
逐語録を検討した
今日の講習で、先日作った逐語録を受講生同士で検討するワークを行った。
自分でもあまり出来は良くないと感じていたため、最初に検討してもらうことにした。
一通り、ケースを紹介し、自分が作った逐語録を、間に、説明を加えながら読み流す。そのあと、フィードバックをもらうはずが、声が上がらない。
心配してTAが駆け寄ったくらい、発話がない。
そこまで、おかしいか?と思ったが、やっと、「内容が難しい」と声が出た。
内容は、職務変更があり自分の苦手とする仕事を今後やらないといけなくなったという男の話なのではあるが。
なんだろ、確かに、その組織の中だからこそわかることも含まれているような気はする。こちらが歳食ってるので、遠慮したのかな?
他の受講生の逐語録も見せてもらった。
人それぞれにクセはあるなあ。
他のグループの声がちょこちょこ聞こえてくるが、コンサルタントのかかわり方というよりも面談の内容を議論する声も聞こえてきた。趣旨が違ってるグループもあるなあ。
見せてもらって気になるところははっきりそう言ったし、いいなあと感じたところは素直にそう言った。
たまたまかもしれないが、自分の価値観がはっきりと出ている方が2人いて、それははっきり指摘した。2人とも面談の冒頭を文字起こししたという点も共通していた。
対照的に、クライエントが自己理解を深めていると感じた逐語にも出会えた。
自分の価値観が出てくる逐語は、コンサルタントとクライエントの対立の構図が見える。質問が続く逐語は詰問している印象を受ける。
一つ一つの応答を見ると、うまく要約しているなあ、とか、言いかえているなあと思うのだが、対立構図が見えると、発話の流れが見えてこない。ぶつぶつと分断されている。
これまでも何回逐語録のサンプルは見てきたが、そこには発話の流れがあった。クライエントの言葉とコンサルタントの言葉がつながり、ストーリーラインを作り出していた。
そうした発話の流れは、どのようにすれば現れるのだろうか?