キャリアコンサルタント学習ノート

キャリアコンサルタントの学習記録

キャリア・アンカーの使い方を学ぶ

 「はじめに」にこの本は、2015年日本人キャリアカウンセラー向けに行われたワークショップを元に制作されたことが明かされている。副題にも「<キャリア・アンカー>の正しい使用法」とあるとおり、キャリア・カウンセリングの現場にフォーカスした実践的内容だと感じた。ページ数も81ページと非常にコンパクトである。すぐに読めてしまうボリュームだ。

ャリア・アンカーとはキャリア・職業におけるセルフ・イメージ、自己概念である。このセルフイメージは①スキル・能力領域、②動機・目標、③価値観で構成されている。キャリア・アンカーを学生は持たない。キャリア・アンカーは、社会経験の積み重ねにより、より明確になっていくものだからだ。このことは、シャイン博士がキャリア・アンカーを発見してきた過程から裏付けられている。ハーバード卒業生に対し、縦断的なインタビューを重ねてきた結果、どのように個人のキャリアに対するセルフ・イメージが成立していくのかを丹念に観察してきた結果に基づいている。この本では、キャリア・アンカーの元となった研究でのインタビュー手順が紹介されている。どんな仕事をしてきたか? どういう理由でその仕事をしたのか?を繰り返し問うというシンプルな手順で、より詳しい内容は先に出版されている「キャリア・アンカー」(白桃書房刊)で確認することができる。

のように個人の経験に基づくものであるにもかかわらず、それが8つのタイプに分類できるというのは考えてみれば不思議な感じがする。個人の経験は人それぞれであり、同じ経験であったとしても、そこに見出す意味や感情は人それぞれ違うだろうと予想できるからだ。シャイン博士自身、「キャリア・アンカーの種類は文化や技術の進歩によって変化する」と述べている。ただ、博士のこれまでの調査・研究の中では8つ以外のアンカーは発見されてこなかった。この事実は、次のような注意を促している。キャリア・アンカーの8つのタイプにクライエントを当てはめることは、キャリア・アンカーの使用法としては正しくない。むしろ、誤ったマッチングにつながる可能性があるという意味では危険でさえある。シャイン博士自身、はっきりと「私の目標は、自分自身についてより深く知り、それによってよりよい人生の選択をしてもらうことなので、この8つの分類にこだわることはさほど重要ではありません」と言い切っている。すると8つの分類は便宜的な分類ということになるのだろうか?「自己開発のためのツール」とするなら、便宜的というのは強ち間違いではないように思われる。一方、自身のキャリア・アンカーを知ることはキャリア上の選択にあたり、最適な選択を導くものだということも期待されている。つまり、8つの分類に結果的に当てはまるにせよ、当てはまらないにせよ、人は自身のアンカーを明確に知っているかどうかが重要なのだ。自身のアンカーと仕事とがうまくマッチングした状態は理想的であり、より充実したキャリアが期待できるからだ。アンカーは、その人が実際に、現実にとってきた行動に表されている。シャイン博士は、キャリア・アンカーの診断には対面でのインタビューが不可欠だという。シンプルに構造化されたインタビューを通じて、その人のこれまでのキャリアを丹念にチェックしていく必要があるからだ。質問紙や自己診断ではそれは不可能だ。ただし、インタビュワーはクライエントの話を聴くことに徹するだけでは不十分だ。インタビュワーは、クライエントに選択を迫る。選択することでクライエントは自身のアンカーをはっきりと知ることになる。インタビュワーはこのような質問に習熟する必要がある。選択を迫られるような場面に遭遇した時に、クライエントはそれまで気づかなかった自身の深いニーズを知ることになる。

 

ャリア・アンカーは、職種を予想するものではなく、職業適性を図るツールでもない。この点、ホランド・タイプとは異なる。アンカーと仕事が一致していることが理想的な状態だと言いながらも、そのマッチング・プロセスは非常に複雑なものである。個人には個人のニーズがあり、組織には組織のニーズがある。さらに、個人のニーズも組織のニーズも、人口構成や国の経済状況、国策やシステム、社会風潮などに影響を受ける。したがって、はっきりとしたキャリア・アンカーを持っていたとしても、そのアンカーとまったく異なる職業にしか就けないといった事態も起こりうる。一方、組織にとっては、明確な戦略目標のもと市場でのポジションを維持していく上で、必要なヒューマン・リソースの獲得、定着を図ろうとするのであれば、個人の望む働き方、キャリア形成にも応えられるような仕組みづくりが必要になるかもしれない。

ここで、シャイン博士が危惧しているのは、個人も、組織も、自身のニーズをうまく伝えられていないのではないかということだ。つまり、コミュニケーション・ロスが起きているのではないか。そこでミスマッチングが起きているのではないかという点が指摘されている。このミス・マッチングを防ぐものとして、個人にはアンカーを明確にすることを提唱する一方で、組織にはジョブ・ロール・アナリシスを行うことが薦められている。ジョブ・ロール・アナリシスでは、仕事の内容よりも、仕事をする上で求められる人間関係が中心に据えられる。何をするということよりも、「誰のために」に力点が置かれる。この利点は仕事や役割に求められる要件の変化を、周囲の期待を明らかにすることで、柔軟に把握できることだろう。そのため、ジョブ・ロール・アナリシスは、組織内で実際にその仕事をしている人自身で行うことが一番良いとされている。それを通じて、組織は、その組織の中で求められる仕事の役割や性格をはっきりさせ、自組織で必要な人材を明確にすることができるのだろう。

ョブ・ロール・アナリシスは、また、外的キャリアを明らかにする。外的キャリアは組織が個人に対して求めるものであり、垂直的な階層次元、水平的な職務次元と部内者化により構成される。内的キャリアと呼ばれるものは、個人のキャリア・アンカーとして明らかにされるものだ。シャイン博士においてのマッチングとは、これら外的キャリアと内的キャリアとのマッチングである。それは一生涯続くプロセスである。

ャリア・ダイナミクスとは、このような組織と個人とのニーズのマッチングを実現させようとするプロセスである。そしてシャイン博士によれば、そのプロセスを担うのが、キャリア・カウンセリングである。ここで、キャリア・カウンセリングとは、組織の要請と個人の要求をうまくマッチングさせることだ。人は自身のキャリアについてもっと深く知る必要があり、組織はもっと自社の仕事を理解する必要がある。キャリア・カウンセリングは、個人と組織の双方に対し、それぞれのニーズを理解し、それぞれが最善の充足を実現できるように支援するものである。

 

のように整理してくると、キャリア・アンカーの目的と効果、その限界がはっきりと理解されてくる。キャリア・アンカーの正しい使用法は、それらをしっかりと弁えておくことだ。

ャリア・アンカーは大学生やキャリア形成期の方には適さない。キャリア・アンカーを持たない、あるいは確立されていないからである。また、キャリア・アンカーは職業経験に基づく一方で、主観的なものである。そのため、客観的にスキルや能力を保証するものではなく、職業適性を表すものではない。さらにキャリア・アンカーは個人のキャリア選択に役立つとはいえ、手がかりの一つであることに変わりはない。極端なことをいうと、職業選択の場面では、キャリア・アンカーを軸にするのかどうかは個人の自己決定に委ねられている。例えば、専門・職能別コンピタンスというアンカーを持っていたとしても、そのアンカーに適合する職種がなかったり生計が成り立たない場合、違う職種で妥協せざるを得ない場合もあるからだ。

しろ、キャリア・アンカーは組織内においてより使いやすく、効果を発揮するものだろう。組織内でこそ、キャリア・アンカーとロール・マップとの相乗性も発揮されやすい。組織開発や人的資源管理とも結びつき、組織の生産性向上、個人のより充実したキャリアといった成果を期待することができる。キャリア・カウンセリングは、組織にとっては組織活性化の方策の一つであり、企業戦略と密接な関係にあるという点は、キャリアカウンセリング、あるいはキャリアコンサルティングがややもすれば個人の目線に偏りがちになりやすいことを考えると、もっと強調されて良いように思う。

シャイン博士が語るキャリア・カウンセリングの進め方: <キャリア・アンカー>の正しい使用法

シャイン博士が語るキャリア・カウンセリングの進め方: <キャリア・アンカー>の正しい使用法

  • 作者: エドガー・H.シャイン,尾川丈一,石川大雅,Edger H. Schein,松本美央,小沼勢矢
  • 出版社/メーカー: 白桃書房
  • 発売日: 2017/01/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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追記。木村周先生は、キャリアガイダンス理論と組織キャリアを区別していて、シャイン博士は後者に含まれている。 

 

 

 

マイクロカウンセリング メモ

マイクロカウンセリングは、大学でのスクーリング、キャリアコンサルタントのカウンセリング入門、応用実習と計3回学ぶ機会を経験。技法体系として確立されているので学ぶ内容は同じ。ただし、それぞれの回にそれぞれの学びがあったと実感している。

マイクロカウンセリングはカウンセラーのトレーニングとして考案され、考え方と共に体験学習を重視している。それぞれのロープレでは、相手も違い場所も違う。一期一会での学びがある。それと、自分自身にも変化があることに気づく。

最初、学んだときは質問技法がクライアントへのアプローチとして非常に大事だなと思い、質問のレパートリーを増やしたいと感じた。効果的な質問はクライエントの気づきを促すので、一人ひとりのクライエントの語りに応じたカウンセリングをしていくには質問技法に習熟することが重要だと考えていたからだ。

現在では、質問技法にはあまりこだわらなくなった。

それよりも、かかわり行動により注意するようになった。視線の合わせ方、言語的追跡、身体言語への注目、声の調子といった点で、クライエントや私自身の動きに注意するようになった。

最近、ロープレで、「クライエント役が多く話してくれるので助かった」というセリフをよく耳にする。これって、どうなんだろうとどことなく違和感を感じる。

同じ時間、同じ場所、同じメンバーで顔を合わせ、何回かロープレをやっていると、親密さが生じてくる。そうすると初対面の時よりは警戒心も薄れ、より自己開示が進んでいく。とするとクライエント役のセリフが増えるのは当然の流れであり、だから助かった、助からないということは、ロープレの目的とはちょっと違うような気がする。一方で、クライエント役に回った時、安心できる雰囲気で自己開示が進んでいくことで自己理解が進むという面はある。カウンセリングを学ぶという点では、このようにクライエント役となった時のメリットはある。だが、キャリアコンサルタント役を行う場合にはそれとは違う。キャリアコンサルタントとしてのクライエントに対面した時のかかわり方に注意するべきだろう。

人によって、語る内容も、語り方も違う。なので、質問や言い換え、要約、明確化、励ましなどの技法は、クライエントによって柔軟に使う頻度は異なるはずである。どのようなクライエントの場合、どの技法を使うことが多いのか、また、どこまでクライエントの話に関心を寄せられているか、自分を観察する。と同時に自分のかかわり行動に注意する。クライエントがキャリアコンサルタントの好意的関心を感じ取っているとすれば、それはかかわり行動として表現されているはずである。技法もかかわり行動として生じてくるのだ。

 

第3回の筆記試験をやってみた

所要時間、約1時間超。設問50問に対し正答39問。正答率78%。

正答数、正答率とも第2回をやった時と同じ。

誤答した箇所は、

・キャリア理論3問(中年期のライフサイクル、レビンソン、転機)

・カウンセリング2問(相談者の個人特性、カウンセリングアプローチ)

・労働法関連3問(休日、労働基準法雇用保険法

・労働状況1問(高齢者の就業状況)

・キャリア教育1問(学校段階のキャリア教育)

・アセスメント1問(心理検査)

カウンセリングの2問は取りこぼし、他は未だカバーしきれていない箇所です。

 

そろそろ4回試験の案内も配布される時期に来ているので、弱点補強に取り掛からないといけません。

応用実習も月内6回。何とかこれまで無欠席(遅刻は何回か・・・)。

課題の逐語録作成が残っていますが・・・。

 

 

 

業種と職種、ワークタスクとホランドタイプ

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この図は、キャリアコンサルティングの場面で、頭に持っておくと役に立つと思われる。

クライアントの話す事柄や表す感情、表明される考えから、クライアントの興味を整理するのに効果がある。

今日の講習で、業種はワークタスク、職種はホランドタイプに結びついていることを教えられた。なるほどなあ〜と感じる。


大事な、大事なかかわり行動

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週二回、同じ時間に何回も顔を合わせてると、馴染みになってくる。

が、いつも初顔合わせだと意識するようにしたい。


ロープレを重ねてくると、言い換え、伝え返し、質問などの技法を意識するようになってくる。技法を習熟することは確かに大事だが、それもかかわり行動ができていてこそ、だと感じる。


かかわり行動をとることは対面者への関心を示すと同時に、相手にチューニングすることでもある。でなければコミュニケーションは起きない。

ところが、クラスになれてくると、すでにコミュニケーションが成立しているために、かかわり行動が忘れられてしまうような気がする。



本日のロープレ

ジョブカードがテーマではあったが、全く使わず、20分、転職するかどうかの話を聞いた。クライアントが提示しない限り、こちらから求める必要はないと思ったので。

転職を考えたきっかけから、今の仕事の状況などいろいろ聴いた。

どんどんと話すクライアント役であったので、要約を間にはさみながら進めた。

自分のスキルと経験の幅を広げたい、本人は企画系の指向性がある、現職では企画よりもコネの営業が評価されそのことに納得がいかないなどヒアリングし、今までの経験をベースにしてスキルや経験を広げたいのか、それともまったく違う経験を積みたいのかという選択に行き着き、最後にクライアント役から年収という言葉が出たところで時間になった。

おそらく、クライアント役の主訴に触れようとしたところであったと思う。年収という言葉に隠された意味に終わった後に気づく。この言葉は前半でも一度出てきたのだが、そのときには引っかかりが私の中で起きなかった。これまでの経験を深めるのか、それとも幅を広げたいのであれば違うフィールドもありかといったことは主訴ではない。すでにクライアントはそれに対する答えをもっている。なぜ年収にこだわるのか? こだわる理由があるのではないか? そう考えると、面談の展開はまったく違った方向に進んでいくことになるだろう。

むしろ、そのような選択の前に、クライアントの現在の事情がある。年収を下げてまで転職はしたくない。というより、下げられないのだろう。何があるのかはわからないが、年収を下げられない状況にはありつつも自分のキャリアアップを図っていきたいという思いもある。

やっとクライアント役の主訴が現れ始めるのに20分かかった。

本来、60分の面談だと考えると、このあとはキャリアデザインを立てるという具体的な作業に入り、そこでやっとジョブカードの確認を行っていくのだろう。


面談の展開としては間違ってはいない。そう思うが、果たして、20分の展開としてこの内容が妥当なのだろうか? もっと早くにクライアントの主訴に近づけたのではないか? 

今日のロープレ

時間、6分。

相手は先輩キャリアコンサルタント

設定は、28歳、女性、契約社員

相談は職場の人間関係に悩んでいるとのこと。

クライアントは12月から現在の電力会社に契約社員として入社。職場には正社員2名のほか、パート社員3名。

人間関係に悩んでいるとのことだが、具体的にはランチの時にパート社員に声をかけられ一緒に昼食をとるのだが、その時に正社員の悪口を聞かされ、それが嫌でたまらないようだ。どんなことを話しているのかとたずねると、内容も思い出したくないらしい。よほど、嫌なんだということはわかったので、では、誘われても断ることはできないのかと質問しようとしたところで、時間切れ。


ここまでが6分間で聞き出せたこと。


テーマは信頼関係の構築。


だが、嫌だという感情だけを引き出しただけで終わったような気がする。

振り返って、他にも聴くことはあったのではないか?例えば、誰かに相談しましたか?とか、だが、なかなか思いつかない。


冒頭、クライアントは、

「言いにくいことなんですが」といい、

「職場の人間関係で悩んでいまして」

「具体的にどんな悩みですか?」という応答の後に、上記のランチの話が出てきた。

ここで聴くことをやめた気がする。というのは、普段会社でのランチ風景が思い浮かび、ああ、よくある話だなとクライアントの話を評価していたのだ。すると、自分の頭に浮かんだイメージをベースにクライアントへ応答を続け、最後までそのイメージから離れられなかった。そのため、クライアントのネガティヴな感情を引き出しただけに終わった。


ここに、自分の女性に対しての固定観念が出ているような気がする。

声かけられたら嫌でもつきあわないといけない、ことわったらどんな嫌がらせされるかわからない、女子の間ではよくあることでしょと決めつけていた気がする。それも、ロープレの最中には気づかなかったが、無意識に、その固定観念のなかで応答していたのだと思う。ジョハリの窓で言えば、知らない自分が出ていた、ということか?


今、ロープレを思い返すと、最初のクライアントの発話である、「いいにくいことなんですが」が気にかかる。そこに、クライアントの主訴が隠されているように思う。クライアントが「いいにくい」と感じていたことは何なのだろうか?ランチで悪口を聞かされるのが嫌だと感じることにためらいがあるからか?あるいは、男のひとにはわからないとクライアント自身が感じているから、なのか?

何れにしても、クライアント自身にとっての重大さを示している。そうだとするなら、今回のロープレに共感は成立していない。それ以前に、共感的な態度を示していない。

あらためて共感的理解は難しい。

今回の課題は技法レベルのことではない。

50代の女性がEAPの相談機関に行った時の話をしていたが、二十代女性の相談員に対応され、その若さで私のことがわかるわけがないと思ったという話をしていた。これも固定観念だ。ひとはそのひと独自の世界観を持つ。だが、その世界観をそのひと自身が知らないこともある。共感の前に立ちはだかる壁は、自分が意識していない、自分に染み付いた世界観なのだ。